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B-MAXストーリー(6)宮田エンジニアとの出会い

B-MAXストーリー

急きょ決まったF3参戦

関口のF4での雨中の激走を見ていた人がいた。名門チーム、トムスの監督、関谷正徳である。関谷は関口の走りに光るものを感じ、B-MAXエンジニアリングで全日本F3選手権に参戦することを提案する。提案にはトムスで空いているマシンをレンタルすることも付け加えられた。

2011年全日本F3第3戦、関口雄飛(B-MAX ENGINEERING)は復帰レースで初優勝を飾る

2011年全日本F3第3戦、関口雄飛(B-MAX ENGINEERING)は復帰レースで初優勝を飾る

これはF3に戻りたかった関口にとっては願ってもない提案だったが、B-MAXエンジニアリングにとっては戸惑いもあった。従業員が2人しかいないのにF3なんてできるのだろうか。不安になった組田はメカニックに尋ねた。するとメカニックは「F3をやるのが夢だった。せひやりたい」と言った。

B-MAXエンジニアリングにとって大きな賭けとなる挑戦が決まった瞬間だった。

宮田雅史エンジニアとの出会い

F3参戦は決めたものの、やはり経験のあるエンジニアがいないと話にならない。そこで、白羽の矢を立てたのが、現在B-MAXレーシングの社長を務める宮田雅史である。

宮田を組田に紹介したのは関口であるが、この必要なタイミングで最良の人物と巡り逢う強運は、組田が生来持ち合わせているものかもしれない。

組田の右腕としてB-MAXレーシングを取り仕切る宮田

組田の右腕としてB-MAXレーシングを取り仕切る宮田

当時、宮田はスーパーGTにランボルギーニで参戦していたJLOCチームのエンジニアを務めていた。国内ではあまり知られた存在ではなかったが、ルマン商会(現在のチームルマン)を経て、単身ヨーロッパに渡り、ルマン24時間レースに参戦したチーム郷、マクラーレン、アウディスポーツなどを渡り歩いた経歴を持つ隠れた逸材だったのだ。

「宮田との出会いは僕にとって非常に大きかった。彼の優秀さはすぐに分かりました。B-MAXをレーシングチームとして発展させるには手放してはいけない人材だと思いました」と組田の評価は高く、その後6年間、宮田はB-MAXエンジニアリングの専属エンジニアを務めることになる。

6年後の2017年、組田はB-MAXレーシングを別会社として立ち上げることになるが、その社長に宮田を就任させ、そこから本格的に、組田と宮田による二人三脚のチーム運営が始まるのである。

(7)に続く
Text: Shigeru KITAMICHI
Photo: Motorsports Forum
Shigeru KITAMICHI

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