◎ 全日本F3000選手権第11戦(鈴鹿サーキット) 1992年11月15日 決勝レポート キャビン・レーシングチーム事務局 シーズンに悔いなし  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 19 星野一義 1時間04分32秒788(1LAP遅れ) 13位 3 黒沢琢弥 1時間03分54秒672 2位 【決勝レース】 松本選手がピットスタートとなったため、星野の前方に空きグリッドが生じ、 スタートが有利となった。こうして星野は一挙に7位にまで順位を上げてレース を始める。黒沢は若干ホイールスピンをさせたものの3位を守って第1コーナー へ。 2位のチーバー選手の背後につけた黒沢は勝負どきを待った。この間、星野は 12周目のシケイン入口で6位進出を狙って勝負に出たが、マルティニ選手に接触、 フロントウィングを壊してしまった。星野はそのままレースを続け、5位につけ て2位争いに加わるが、ウィングの破損が進んだためピットイン。ノーズとタイ ヤを交換してレースに復帰したものの、順位を大きく落としてしまった。 黒沢は21周目の130R手前でようやくチーバー選手をかわして2位に進出、 追い上げにかかったものの、結局服部選手には届かず2位でチェッカーを受けた。 黒沢は前回のレースに引き続き連続2位入賞を果たしたことになる。一方星野は、 13位でフィニッシュしたが、その間にこのレースのファステストラップ、1分47 秒053 を記録している。 ●談話 星野一義:ウィングがなくなってからは、全然ダウンフォースがなくなって、マ シンが暴れるし大変だった。レースの中の親友だった松本選手がレースを引退し ていったのでとても寂しくてならない。でも、ぼくにはまだやり残したことがあ るから、このまま引き下がりはしないよ。ぼくもチャンピオン争いに加わって最 終戦を迎えたかった。来年はきっとやり直す。しかし、マルティニ選手はこのレ ースにチャンピオンがかかっていたんだから、本当に悪いことをしたと思ってい る。 金子監督:ちょっと星野には焦りがあったかもしれない。でもあそこで飛び込ん だことについては、星野なりにチャンスを見つけて勝負をかけたんだから、責め るわけにはいかないな。1勝もできないでシーズンを終えてしまったが、来年は 同じことをくり返さないように誰よりも早く来年に向けてのテストスケジュール に入るよ。 黒沢琢弥:スタートでは少しのホイールスピンを起こしてしまった。チーバー選 手のストレートスピードが速かったので、第1コーナーで抜くことはできなかっ た。とにかく我慢して落ち着こうと自分に言い聞かせた。それで、コースの前半 で相手の背後につけてマシンを振り、プレッシャーを与えてタイヤを消耗させる 作戦に出た。結局、スプーン立ち上がりからスピードを乗せて130Rの手前で 抜いた。このとき、チーバー選手は何か小さなミスをして少し立ち上がりが悪か っただ。その後最後まで全力で頑張ったんだけど届かなかった。レース中、クル マは完璧だった。こんなパッケージを与えてくれたチームとメカニックに感謝し ている。 田中監督:130Rの内側にはギャップがあるので、インに飛び込んで勝負をか けることを避けたようだ。元々、今日の勝負どころは130Rの手前だとも言っ てあったから、いろいろやった挙げ句にそこで勝負をかけた。琢弥にとっては今 季最もいいレースだっただろう。前回のレースが終わったあとで、何故勝てなか ったかドライバーとして答えを出せ、と琢弥に課題を出した。その成果を出して 集中力を失うことなく我慢して勝負できたことを評価したい。でも、レースは優 勝しなければいけない。なぜ優勝できなかったかにはそれなりの理由がある。ま ずポールポジションを奪うことが来年に向けての課題だ。 提供:キャビン・レーシングチーム事務局 RIJ-すがやみつる(FMOTOR4 Group Manager SDI00104)