1992年5月11日 --1992年全日本F3000選手権シリーズ第3戦-- 無念のリタイア、次は……。 前回の富士で不運なリタイアに終わったロス・チーバーだったが、このMINEサーキットへは気持ちも新たにリラックスして現れた。予選/決勝とも天候に恵まれ、プロミス &レイナード・レーシングチームは全力でこの一戦に臨んだ。 [5月9日:予選]前日の雷雨とは裏腹に、この日は朝から青空が広がる。ただし、風 は強く吹いていた。前日の雨によるドライコンディションでの練習不足を補うため、特 別にフリー走行の時間帯が設けられた。ここで、星野一義選手のマシンがオイル漏れを 起こし、コースは走行ライン上にオイルがまかれコンディションは悪化した。また、前 日の雨の影響でコース上は全面的に砂埃が広がり、一部を除いてほとんどのチームが1 回目の予選タイムアタックを見合わせた。25番ロス・チーバーも、午後のコースコン ディション回復にかけることにした。午後の路面温度は午前中より10℃近く上昇し、 36℃に達した。それでも、多くのマシンが走ることによってコース上の砂埃が除かれ コースコンディションは好転し始めるとともに、午前中にタイムアタックをしたマシン のベストタイムが次々と更新された。チーバーは1セット目の予選タイヤでのタイムア タック中2台のマシンに引っ掛かり、2セット目の予選タイヤで出したタイム1分14 秒516がベストラップタイムとなった。ポールポジションは、エディ・アーバイン選 手が1分14秒338で獲得。チーバーは予選2番手で、スターティンググリッドのフ ロントローに並ぶ。 [5月10日:決勝]決勝レース当日は快晴となった。しかし、前日に引き続き相変わ らず風は強く砂埃が舞い、コースの滑りやすい状態はそのままで、朝のフリー走行も各 車ラップタイムが伸び悩んだ。日中は気温が上がることが予想され、滑りやすい路面で グリップを確保しながらそのグリップ力を持続させるマシンセッティングとタイヤ選択 の良否が勝負を分けることになった。決勝レースの開始を知らせるシグナルが青に替わ り、スタート良くダッシュしたのはポールポジションのアーバイン選手。しかし、25 番ロス・チーバーもその背後にマシンを着け、トップを奪うチャンスをうかがった。プ ロミス&レイナード・レーシングチームは、路面温度が32℃にも上がった厳しい路面 コンディションにハード寄りのタイヤ選択を行い、レース後半に優位に立つ作戦をとっ た。序盤はアーバイン選手がやや先行するかたちとなったが、チーバーはそのペースに よく食らいついていった。そのまま2位を走行中、62周で争われるレースもまだ序盤 の14周目にA予選12位から追い上げてきたフォルカー・ヴァイドラー選手がやや強 引にチーバーを抜こうとして2台が接触。その場で2台ともリタイアとなってしまった。 -ドライバー&チーム監督コメント- ●ドライバー/ロス・チーバー(Ross Cheever) 路面がとても滑りやすかったので、とにかくスムーズなドライビングを心掛けて走っ ていた。そこへ、後ろに迫ってきたヴァイドラー選手が2コーナーの入り口のところ で僕のマシンのイン側へ強引に入ってきたんだ。それで接触してしまった。後ろに彼 が来ているのは知っていたけど、そのときはバックミラーの視界の外で、なす術は無 かったよ。 ●チーム監督/本間勝久(Katsuhisa Honma) ハード目のタイヤを選択し、後半に勝負をかけようと思っていました。長いレースで すから、最後まで走り切らなければ勝負になりませんからね。序盤、アーバイン選手 に少し差をつけられたのも計算のうちに入っていました。これもレースと言うしかあ りません。速さで我々はまったく問題はなく、アンラッキーなレースが2戦続いてし まいました。次の鈴鹿ではきっちりと勝ちたいと思います。これからも応援をよろし くお願い致します。 -レースデータ- ●開催日/5月9日(予選)~10日(決勝) ●開催地/MINEサーキット(山口県):1周3.238km ●主催者/MINEサーキット、ビクトリーサークルクラブ(VICIC)、 あつモータースポーツクラブ(AMSC) ●観客数/予選日:15,500人/決勝日:57,500人 ●天 候/予選日:晴れ、26℃/決勝日:晴れ、22℃ ----------------------------------------------------------------------------- 提供 プロミス株式会社 営業企画部 -----------------------------------------------------------------------------