インターナショナルF3リーグ・レポート: ---------------------------------------- ◎野田英樹、残念ながら最後のF3を飾れず 11月29日(金)から12月1日(日)にかけて、富士スピードウェイで インターナショナルF3リーグが行われた。このレースは、日本を始め世界各 国のF3トップ・ランカー60余台が参加し、A・B各組に分かれてそれぞれ の選抜レースを行い、この選抜レースに勝ち残った者が決勝レースに進出する 形式で争われる。 昨年、今年とイギリスF3選手権を戦ってきた野田にとって、この富士のレー スが彼自身にとって最後のF3レースとなるので、彼自身がイギリスF3で積 んできた経験の全てを日本のファンに披露すべく、本人も気合いを入れていた。 <公開練習> まず予選に先駆けて11月29日(金)に公開練習が行われたが、野田は今 回B組にノミネートされていた。午前中に1回目のセッションが行われたが、 4速ギアが低めだったこともあって1分30秒台後半のタイムにとどまり、結 局このセッションでは6番手のタイムとなった。 午後の2回目は雨となり、コースはウエットに。野田は7周を走るにとどま り、タイムも1分38秒台前半でこのセッションは7番手だった。 <予選> 翌30日(土)には予選が行われた。前日の公開練習では4速ギアが低めだっ たため、ギアを長めに変更してセッションに臨んだ。だが、風の影響か、今度 はエンジンの回転が上がらなくなり、また前日からの強いアンダーステアとコー ナーの立ち上がりでのパワー・オーバーステアの問題もあって、セッション最 後にマークした1分30秒250のタイムがベストとなり、7位にとどまった。 午後に行われた2回目のセッション、朝に変更した4速ギアのレシオをまた 元の状態に戻した。また1回目の予選結果が7位だったこともあって、この順 位近辺でのスターティング・グリッドであれば、たとえ10番手に前後になっ てもレースに大きな影響はないと考え、サスペンションのセッティングも思い 切って変更してセッションに挑んだ。これが効を奏したか、まだ少し強めのア ンダーステアは残るもののパワー・オーバーステアの問題が解消でき、まずま ずの走りとなってこのセッションでトップ・タイムをマークしたホルディ・ヘ ネからコンマ4秒差の1分30秒036のタイムで5番手につけた。 その後、このセッションで4番手のタイムをマークしていたP.カルカスチ のマシンが車両重量規定に違反していることが判明し、野田の予選順位が1つ 上がって結局予選は4番手となった。 予選中はなかなか前車のスリップを使わせてもらえず少し残念ではあったが、 単独走行でも1分30秒台前半のタイムでコンスタントに走れる自信もあり、 レースになれば十分にスリップも使えるので、日曜日のレースには期待を持っ て予選を終えることができた。 <決勝選抜> 暖かい天候に恵まれた12月1日(日)、決勝レースを前にまずB組の決勝 選抜レースが行われた。 スタートでは相変わらずうまく前へ出られてポール・ポジションのヘネに続 いて2番手で1コーナーに進入し、2周目には3位に下がったものの3周目に 入った1コーナーでは再び2位に浮上した。だが、この時点で後方にいたP.ス チュワートがコントロール・タワー付近でマシンをピット・ウォールに強打し クラッシュ。レースはそのまま赤旗中断となってしまった。このおかげで、こ の後のレースは2周終了時の順位により2パート制で行われることになり、野 田は3番手グリッドから再スタートすることになった。 赤旗中断の関係で合計周回数が15周から12周に変更となったおかげで、 2パート目は10周のレースとなった。今度のスタートでは特に素晴らしいと ころは見られず、ポジション・キープのまま1コーナーを通過。しばらくはイ タリアのM.アンジェレッリと3位争いをしていたが、8周目に1コーナーで 彼をパスして3位に浮上した後、前を行く2台のマシンを射程距離内に納める ところまで詰め寄り、最終ラップのAコーナーで2位を走っていたT.クリス テンセンをパスしてそのまま2位でチェッカーを受けた。 この決勝選抜レースは、決勝レースに進出するためのレースだ、ということ を第一に考えて特に無理をせずに前を走る連中にプレッシャーを掛けながら、 チャンスがあれば抜く、というリスクのない走りでレースを戦った。ヘアピン の立ち上がりでパワー・オーバーステアとストレートのトップ・スピードが伸 びない問題はあったものの、決勝に向けてかなりいい感触が掴めて選抜レース を終えることができた。 <決勝> 夕闇迫る頃に行われることになった決勝レース。A組のD.クルサードがポー ル・ポジションを獲得した関係で、B組2番手の野田は4番手からのスタート となった。野田のマシンはサスペンションのセッティングを少し変更し、また 悔いのないレースを戦うため、自分の気持ちも予選とは切り替えて臨んだ。 スタートではやや出遅れた感じはあったものの、1コーナーの立ち上がりで R.バリチェッロをパスして3位に浮上し、その後は上位を狙うべく走行を続 けた。だが、今一つストレート・スピードが伸び悩み、前に追いつくどころか 中盤にはバリチェッロから迫られる展開となってしまった。バリチェッロのマ シンに比べ、野田のマシンはストレート・スピードが遅く、野田は何とかして 3位の座を奪われないように走っていた。 そして17周目、野田は1コーナーでバリチェッロにパスされ4位に。だが まだチャンスは残っているし、バリチェッロのマシンは野田のマシンに比べて ダウンフォースがなく、タイヤに相当な負担がかかっていると判断し、プレッ シャーを掛けるつもりで少しラインを変えてヘアピンに進入したところ、ブレー キングと同時にタイヤがロックしてしまい、ヘアピンでバリチェッロと接触し てリタイヤとなってしまった。 バリチェッロを追い越すつもりもなく、ハードブレーキングもしなかったの だが、恐らく路面状況の悪いところに乗ってしまったのでは、という思いだ。 野田のミスであったことは認めないといけないが、4位でレースを終えるつも りは毛頭なく、彼自身精いっぱい戦っただと思っている。 野田はレース後、「久しぶりに日本のレースに出場し、応援してくださる方 も大勢いる中で、残念な結果に終わってしまいましたが、自分としては考えな がら戦った決勝選抜レースと、思い切り戦った決勝レースを通じて、ぼくがこ れまでイギリスで学んだことが決して無駄ではなかったことを皆さんに見てい ただけた、と確信しています」とコメントを残していた。 資料提供:(株)ポーク・プランニング 構成:浜田 貴志 (MHA01070/RIJ)