LAP2 「速度×質量の暴力」
ハンマー伊澤
先日のF1日本グランプリで、オリバー・ベアマンが受けたクラッシュ時の衝撃は50Gに達したと報じられた。
50Gというのは、想像を絶する重力加速度だ。
20歳の若者であるベアマンがマシンから救出され、オフィシャルに支えられながら歩き、ふらついて、ついには地面に座り込む。
あの姿は、衝撃というものが単なる数字ではなく、人間という存在の輪郭そのものを揺るがす力であることを、静かに語っていた。
私自身も、最近では2025年のフォーミュラビート第1戦鈴鹿で、およそ10G(ロガーから計算したもの)のクラッシュを経験している。
10Gでさえ、身体には十分すぎるほどの衝撃だ。
一瞬で自由が失われ、内臓の位置まで変えられるのではないかという圧力が来る。
その瞬間、マシンを操っているのではなく、速度と質量がミックスした暴力のなかで、自分がどれほど脆い存在であるかを思い知らされる。
これは、ヒロイズム(英雄的行為)を賛美する話ではない。
速度と破壊が隣り合う世界では、ときにそれは観念ではなく、生身の肉体に突きつけられる現実となるのだ。
1985年の日航機123便墜落事故では、乗員乗客524人のうち520人の方が亡くなった。
運輸安全委員会による事故調査報告書では、墜落時に100Gを超える衝撃を受けた可能性があるとされている。
100G。
そこまで来ると、もはや「耐える」という言葉自体が、表現的に穏やかすぎる。
人はそれを受け止めることはできない。
ただ打ちひしがれ、そのなかでなお消えなかったものだけが、“超奇跡的”に生の側に残る。
100Gを超える重力加速度に、人間は耐えることができるのか。
その問いは、日常のなかではまず必要とされない。
だがこの世界には、そのはるか先の重力加速度を受けた男がいる。
デビッド・パーレイ。
1977年、シルバーストーン。
F1イギリスGP、予備予選中の事故だった。
スロットルは全開のまま戻らず、彼のマシンは減速という最後の救いを失ったまま、壁へ吸い込まれていった。
衝突時の重力加速度は、なんと!驚くことなかれ、後の検証で179.8G!!とされている。
数字だけを見れば、もはや現実感はない。
だが、その現実感のなさこそが、この事故の本質なのではなかろうか。
人間が、本来経験するはずのない停止を、肉体ごと強制されたのである。
現場を見た者たちは、言葉を失っただろう。
あまりにも壊れ方が激しかった。
あまりにも止まり方が異様だった。
マシンは完全に原形を失い、人が生きていると考えるほうが不自然な残骸だけが、そこにあった。
私は当時の画像を見たが、全長が1/2ほどに圧縮され、もはやコクピット部分が無い。(そう見えた)
オフィシャルたちはただちに救出作業に入った。
だが、それは「助ける」というより、オフィシャルとしての強い義務感と、ただの金属の塊となったマシンを見た衝撃に突き動かされたものではないかと思う。
そして、そこにあったのは、常識ではとても生を期待できないほど損なわれた身体だった。
両腕両脚を粉砕骨折、頸部は折れ、内臓もまた激突の凄まじさで破裂していたという。
そして、心臓はすでに停止していたのだ!
誰が見ても、答えは一つだと感じたに違いない。
だが、それでもなお、命は完全には消えていなかった。
病院へ搬送されたのち奇跡は起こる。
なんと、止まっていた心臓がふたたび鼓動を刻み始めたのだ!
しかしその後も、何度も止まり、何度も蘇生を繰り返した。
その度に生命は断ち切られるかと思われたが、医師たちの懸命な処置が、紙一重でそれを断ち切らせなかった。
パーレイは、ほとんど奇跡としか言いようのない形で、死の淵から引き返してきたのである。
それは、人間の身体が壊されながら、なお生へ引き戻されようとする、「強い執念」の記録である。
では、人は100Gを超える衝撃に耐えられるのか?
おそらく、答えは単純ではない。
人は100Gを受け止められるわけはない。
そんなに強いわけはなく、むしろ驚くほど脆いのではないか。
もっと遥かに低いGでも、ほんの数Gの差、ほんの一瞬の角度、ほんのわずかな拘束条件の違いで、命は簡単に失われる。
だがその脆さのうえに、なお説明しきれない形で、生の側に残ることがある。
パーレイの179.8Gは、人間の強さの証明というより、人間の脆さと、生への執着が同時に剥き出しになった出来事だったと思う。
グランプリでは、予備予選を通過できるかどうかという位置を走っていた彼は、速さという面ではF1で「記録」を残すことはできなかったが、「最も高い重力加速度から生還した人間」としてギネス認定され、「記録」として永遠(恐らく)に刻まれることとなった。
身体がズタズタになり、何度も死の淵から蘇り、その死生観も当然のごとく変わっていったと思われるのだが、彼の速さへの飢えは終わることはなかった。 F1への復帰は叶わなかったが、速度への渇望そのものが消えたわけではない。
フォーミュラからツーリングカーレースへと活動の場を移す。
そして、彼はやがてモータースポーツを離れ、アクロバット飛行の世界へ身を移していく。
地上で極限を見た男は、今度は空へ向かったのである。
しかし、速さを求める者は、ときに地上でも空でも、同じ深淵に近づいていく。
1985年7月2日。
パーレイは、アクロバット飛行の練習中、ボグナー・レジス沖のイギリス海峡で墜落し、帰らぬ人となった。
1977年シルバーストーンで、あれほど 身体を徹底的に壊され、何度も心停止し、何度も蘇生を繰り返したパーレイの強靭な心臓は、その約8年後、ついに永久に活動を停止したのである。
2026/04/01
HAMMER RACING HP:https://www.hammer-izawa.com/