88号車VENTENY Lamborghini GT3(JLOC)
- 則竹功雄監督
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「30年かかりました。1994年に手作りのカウンタックで参戦しました。カウンタックも協力はしてくれましたが、サテライトチームでした。2016年にダラーラと一緒にウラカンでレーシングカーを作るというプロジェクトがスタートして、『則竹、勝てるクルマを作ったから絶対チャンピオン取れ』といわれて7年かかりました。まさしく万感の思いで、ゆっくりうれしさに浸りたいと思います」
- 元嶋佑弥
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「2017年、JLOCに最初リザーブとして入って、最初87号車をドライブしました。スーパGTに参戦できるかどうかというところで則竹代表に拾ってもらう形で、そこからスーパーGTのキャリアが本格的に始まりました。フル参戦始めて2年目で小暮選手と組ませてもらいました」
「87号車の1年目が終わったときに『お前最高のパートナーを用意したから楽しみにしておけ』と言われて、それがまさか小暮選手とは思ってもいませんでした。幼い頃テレビの向こう側でむちゃくちゃ活躍して暴れている選手が、まさかぼくのチームメートになるとは思いませんでした。スーパースターの小暮選手と組ませてもらって、そのときに『僕このチームと心中します』と則竹代表に言いました」
「則竹代表の一本気なスタイルに惚れましたし、そこらへんからこのチームでチャンピオンを取りたいという気持ちに変わってきました。時間はかかりましたが、昨年最終戦に勝てて、そこからチャンピオンまでこんなに早く来るとは思いませんでした。則竹代表に少しだけ恩返しできたのかと思います」
- 小暮卓史
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「GT500にずっと乗っていましたが、レース人生が終わりかなというときに、則竹さんにチャンスを与えていただきましたが、本当にここまで来られるとは思っていませんでした」
「初めてチームで乗ったとき、500と違って一見簡単に乗れそうなんですが、突き詰めると奥の深い難しさがあって、元嶋選手の走りに圧倒させられて、ぜんぜんタイムもかなわないし、どうなっちゃうんだろなと思いました」
「則竹さんの『信じてるから』という言葉がうれしくて、プレッシャーに感じて、これはなんとかしないといけない、チャンスを与えてくれたチーム、則竹さんに返していきたいという思いがありました」
「ウラカンに慣れてきたなかでも、優勝がなかなかできなくて、ものすごくハードルが高いなと思いました。500も500の難しさがあってレベルの高いドライバーたちと戦うんですが、300は300でそのときのコース、マシン、タイヤが全部マッチしないと勝てません」
「すごく苦労した5年間があって、昨年の最終戦で勝て、そこから流れがすごくよくなり、チームもレベルアップしました。本当にみんなのおかげです」
Text & Photo: Yoshinori OHNISHI