全日本F3000

レイトン富士F3000情報(決勝レース)

      全日本F3000選手権シリーズ第2戦
  CABIN日本インターナショナルフォーミュラ選手権レース
   1990年4月15日 日曜日 富士スピードウェイ
決勝レース
 8時40分からウォームアップはスタート。快晴までとはいかなかったが、雨の心
配はなさそうである。コースオープンとともにピットを後にした関谷、ダナー。昨晩
検討し決定したセッティングを確かめる最後のチャンスであった。
 まずは1分21秒台で走行を始めたダナーであったが、ピットインしてきた時に、
ギアボックスから異臭が出ているのを発見。破損の恐れがあったので走行を中止、パ
ドックにマシンを引き戻し点検することになった。ギアボックスを開けてみると、ベ
アリングに異常があることが判明、すぐに交換し大事に至らずに済んだ。
 一方、関谷はトラブルなく1分20秒台中盤で5、6番手を走行していた。その関
谷はセッション終盤に、Aコーナーでスピンしてしまい、その場でマシンを止めざる
を得なくなってしまった。セッション終了後、両ドライバーはともに「タイトコーナー
でのターンインで、非常に神経質なオーバーステア、100Rなどのハイースピード
コーナーでは強いアンダーステア。」と同じフィーリングをエンジニアに説明。その
オーバーステアのため関谷はスピンしてしまったのだ。
 セッション後、決勝レースに向けてのセッティングを決定するミーティングが開か
れ、マシンのセッティング向上を目指す。12時50分、7分間のウォームアップが
始まった。午前中に出ていた問題がほぼ解決されたとドライバーから報告があり、チー
ムでもその成果を確認した。13時、グリッドに各車整列、フォーメーションラップ
を1周。13時10分、いよいよ決勝レースがスタートした。
 6列目からスタートしたダナーは、絶妙なスタートを見せ、一気にポジションアッ
プの8番手に。関谷は順位こそドロップしなかったものの、スタート直後の渋滞の真
ん中にいた。そして、1周目のBコーナーの混乱で岡田と接触。リアのアームを曲げ
ピットに戻ってくるも、リタイヤとなってしまった。岡田もダメージを受けており、
その場でリタイヤ。レイトンハウス90Bは一度に2台がコース上から消えてしまっ
た。
 ダナーは8、9番手でラップを重ねていくが、上位に食い込めるほどのタイムを出
せないでいた。逆に後続に追い上げられながらも、必死に踏ん張るダナーであったが、
25周目、ゆっくりとピットに戻ってきた。ニュータイヤを用意して待っていたピッ
トクルーだが、ピットロードを走行中にすでにドラバーがシートベルトを外している
のを確認した。CVジョイントが破損しており、万事休す。ダナーもリタイヤとなっ
てしまった。
   提供:レイトン・インターナショナル


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