全日本GT選手権

GTインサイドレポート JGT FES.in MALAYSIA/2

■ 2000 AUTOBACS CUP ALL JAPAN GT CHAMPIONSHIP
■ GT INSIDE REPORT
■ JAPAN GT FESTIVAL in MALAYSIA                           FMOTOR4 EDITION
 RACE REPORT           決勝レポート         2000/06/25
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JAPAN GT FESTIVAL in MALAYSIA(06/24,25)
決勝レース

マレーシアにスカイライン伝説が生まれた日…
No.2 カストロール・ニスモGT-Rが大逆転で優勝を決める!
壮絶!!No.18 TAKATA童夢NSXは灼熱地獄に苦しむ


 日本レース初の試みであるJAPAN GT FESTIVAL im MALAYSIAの決勝レースが6月25
日、マレーシアのセパン・インターナショナル・サーキットで3万人以上の大観衆
の下で開催された。
 早朝にひとしきり降った雨雲も流れ、暑い日差しがセパンに戻ってきた。エンジ
ンを換装を行っていたNo.55 エクリプススリランカバイパーGTSRを除く、23台がス
ターティング・グリッドに並んだ。14時ちょうどにローリングスタートが開始され
ると、グランドスタンドに詰めかけた1万数千人の大歓声がメインストレートを駆
けるマシンたちに注がれた。そして、1周のローリングの後、歴史的な決勝レース
のスタートが切られた。
 ポールスタートのNo.18 TAKATA童夢NSX(脇阪寿一)は見事にスタートを決め、1
コーナーにトップで飛び込む。対照的に予選2位のNo.16 Castrol無限NSX(道上)
は失敗というか、予選4位のNo.36 カストロール・トムス・スープラ(土屋武士)
が好スタートでジャンプして2番手に、そして予選5位のNo.64 Mobil 1 NSXが3番
手に。予選3位のNo.32 トヨタセルモスープラ(近藤)と7位のNo.12 カルソニッ
クスカイライン(星野)がスタート直後の混戦で接触。この2台はこのトラブルも
あって大きく後退した。
 トップに立ったNo.18は2分4秒台というハイペースで、いつものように逃げを打
つ。2番手は2周目にNo.36をかわしたNo.64となるが、No.18との差はじわじわと広
がっていく。
 4番手には予選8位から上がってきたNo.8 ARTA NSXだったが、スタート時のフラ
イングを取られてペナルティストップを命じられ、上位から脱落する。これに代わっ
て4番手になったのは予選6位のNo.3 ユニシア・ザナヴィスカイライン(田中)、
5番手が予選9位と出遅れたNo.2 カストロール・ニスモGT-R(片山)だった。
 しばらく上位の順位はそのまま動かなくなる。特に20周を過ぎた頃にはトップの
No.18と2番手のNo.64の差は8秒弱まで開いてしまう。そして迎えたルーティンの
ピットインでレースは動いた。No.2 カストロール・ニスモGT-R(クルムに交代)と
No.1 ロックタイト・ゼクセルGT-R(コマスに交代)は速やかにピットインを終え
た。だが、2番手のNo.64 Mobil 1 NSX(伊藤に交代)、3番手につけていたNo.36 
カストロール・トムス・スープラ(関谷に交代)はピットから出る際にエンジンが
ストールしかけて、No.3 ユニシア・ザナヴィスカイライン(長谷見に交代)もピッ
トで時間が掛かってしまい、No.2、No.1が一気に2、3番手に躍進。後塵を浴びる
ことになった、3台は一団となって争いさらにしまう。この中でNo.3はエンジンに
トラブルが出て、No.36もペースが上がらずに、No.64がなんとか抜けだすが、トッ
プ争いからは絡むことは出来なくなっていた。
 2番手に上がったNo.2だったが、無難にピットインをこなしたトップのNo.18 
TAKATA童夢NSX(金石に交代)との差は、この時点で6秒近く開いていた。No.18の
金石、No.2のクルム共に2分5秒台前後を出していたために、この差は詰まらない
かと見えた。ところが、35周を過ぎたあたりから急にNo.18のペースが乱れて時には
8秒台まで落ちてしまう。これを知ったNo.2クルムは4秒台も出すペースで一気に
その差を縮めていった。No.18金石のクールスーツは交代した時点からまともに動い
ておらず、この時金石は体力的に限界に近づいていたのだ。そして40周目にNo.2ク
ルムはNo.18の隙をついてトップに立つ。そしてその後も2分5~4秒台のペース
で、後続を引き離していた。さらに3番手のNo.2コマスもペースの落ちたNo.18を抜
くべく猛然とペースを上げていく。そして残り4周となった49周には、周回遅れを
2台挟んでNo.18の背後に付けた。そして50周目の1コーナーで周回遅れをまとめて
かわしに掛かったNo.1スカイラインのテールが大きく流れた。これでタイヤにダメー
ジを負ってしまったNo.1は、ここに来てタイヤ交換せざるおえなくなり、表彰台を
逃すことになった。これで2番手のNo.18を追うのはNo.64になるのだが、残り3周
で差は16秒。結局No.18は辛くも逃げ切って2位を確保してゴール。3番手はNo.64
となった。記念となる優勝を飾ったのはNo.2 カストロール・ニスモGT-R、片山右京
/ミハエル・クルム組。シリーズ戦ではないが、クルムにとってはNISMOでの、片山
にとってはGTでの初勝利を手にすることになった。


圧勝!No.7 RE雨宮マツモトキヨシRX7がSUGOのリベンジを果たす

 GT300クラスでは、ポールポジションのNo.7 RE雨宮マツモトキヨシRX7(山野>松
本)が好スタートを切って逃げる。これをNo.19 ウェッズスポーツセリカ(原>脇
阪薫一)とNo.77 クスコスバルインプレッサ(谷川>小林)が追う展開。
 序盤こそトップNo.7に食い下がった両車だったが、No.19は他車との接触で出遅
れ、No.77はピットイン時にエンジンが掛からなくなってしまい、2分近いロスで
勝利から遠ざかってしまった。一方、No.7は山野、松本共にコンスタントに2分16
~17台を記録し、この暑さの中でノントラブルで走りきり最終的には40秒近い差を
付けて優勝した。5月28日に行われた第3戦SUGOで勝利を目前にしながらリタイア
となったレースの雪辱を果たす形となった。


☆優勝者インタビュー
■GT500
No.2 カストロール・ニスモGT-R
片山右京「ここ(セパン)に来る前に考えたり、聞かれたりしていたんですが、表
彰台はあると思ってました。とにかく前半がんばっていけばクルムがやってくれる
と思っていました。JGTCが初めて海外で行ったレースで勝てたことで、スカイライ
ンや自分たちの力を証明できたと思います。F1以後はモチベーションが高く保てま
せんでしたが、ル・マンでの2位とこの勝利で、F1とは(モチベーションは)違う
けど、もっともっと上にいきたいと思えるようになりました」
ミハエル・クルム「右京ががんばってくれて、予選9位が5位になって帰ってきて
くれたので、うまくやれば表彰台が見えると思った。ピット作業がうまくいって2
位で復帰できた。それでもトップの18号車に追いつくのはむずかしいとは思ったが、
プッシュした。18号車のペースが落ちてきて、ミスも増えたから抜けました。この
サーキットはひじょうにすばらしいし、クルマのなかにいても観客の声援が聞こえ
てきて、それがとてもうれしかったですね」

■GT300
No.7 RE雨宮マツモトキヨシRX7
山野哲也「(ポール・トゥ・フィニッシュでしたが楽勝でしたか?)そんならくな
もんじゃないですよ。ボクたちは前のSUGOで1番を走りながらリタイアしてますし、
ここへはリベンジじゃないですけど、そのくらいのつもりでRX7とチームの実力を
見せたいと思っていました。だから、今日もここ(優勝インタビュー)に来れたの
がひじょうにうれしいです。レースではていねいに走ることを心がけてましたし、
それができたこともあってほんとうにうれしいんです」
松本晴彦「(セパンでの初代勝者ですね?)ここにいられることは、とても光栄で
す。ここで勝つためにチームもドライバーも一丸となってやってきましたから、と
てもうれしいです」


■レースTV中継
7月1日(土) 16:00~17:15
テレビ東京系全国6局ネット
放映局:テレビ東京/テレビ大阪/テレビ愛知/テレビ北海道/
テレビ瀬戸内/ティーエックスエヌ九州 


                       GTアソシエイション事務局
                         GTインサイドレポート班
                        古屋 知幸 = QYB04322 =


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