2024シーズンをもって、スーパーフォーミュラ(SF)からの引退を表明した山本尚貴選手の会見が、11月8日に鈴鹿サーキットで行われた。
フォーミュラ・ニッポン時代から、15年という長きに渡ってトップフォーミュラに参戦し続けた山本。その間、チャンピオンに輝くこと3回(2013、2018、2020年)。まず、そのキャリアを振り返った。
「15年間、多くの人に支えられたことを感謝しています。体感的には短く感じているというのが正直なところです。望めば誰もが乗れるものでもなく、乗り続けられるものでもないので、改めて幸せだったと思います。プロの世界ですので、乗り続けるためには結果が求められますが、チャンピオンを取り、良いレースを重ねたことが15年に繋がっていると思います。それは、自分ひとりの力ではなく、監督、エンジニア、メカニック、マネージャーが支えてくれ、ライバルが奮い立たせてくれたからだと思い、感謝しています」
「思い出深いレースは、3回のチャンピオンを決めたレースですが、いつもぎりぎりでのチャンピオン獲得でしたので、ドラマもあり皆さんの記憶に残すことができたように思います。あとは22年に中嶋レーシングに戻って、雨で勝ったもてぎのレースですね。なかなか地元でなかなか勝てませんでしたので。強いて言えば、2013年の最初のタイトルを取ったレースですね。チャンピオンを取ったことで、プロとしての自覚が芽生えたと思います。」
そして、肝心のフォーミュラからの引退を決めたき理由は、さまざまあるものの、そのきかっけは中嶋監督からの言葉だったという。
「引退の理由ですが、ずっと思わしくない結果が続いていて、チームメイトに負けることが多くなってきました。自信を失ったわけではありませんが、自分が求めているものや、周りからの期待との乖離があるというのは感じていました。この成績でなぜ乗せてくれるんだろうという思いや、チーム、スポンサーの期待に応えられないことに対する苦しい思いを抱くという状況が続いていました」
「それが決めてかというと、正直違っていて、実は、(そんな状況のなか)中嶋監督から今年で退くのはどうだ、という話をいただきました。それは自分の身体のことを考えてくれた言葉でした。これから先の長い人生を考えてくれて、これ以上つらい思いをしてほしくないという優しい気持ちからでした。中嶋レーシングに復帰したときに、スタートで関わったこのチームで終わりたいと、ホンダにもお願いをしていましたし、自ら引き際を決められない自分の背中を押してもらったように思います。それで決断しました」
自分で決断したことではあるものの、フォーミュラを辞めることに、やはり心残りはあるという。
「未練がないと言えば嘘になります。15年間繰り返してきたことの(SFとGTの)片方がなくなる。いや、三分の二がなくなるという感覚ですし、毎年、覚悟を持ってやってきました。悔しいというよりは、寂しいというのが本音です。引退を公表してから、SNSで多くの人からコメントをもらって、こんなにたくさんの人に応援してもらっていたんだというのを再認識しました」
「92年に鈴鹿でアイルトン・セナを見て、レーサーになりたいと思い、初のポールも鈴鹿でしたし、人生を導いてくれたのも鈴鹿という気がします。そして、最後が鈴鹿というのも縁だと思います」。
最後は、自分を育ててくれた鈴鹿サーキットへの思いを語った山本。フォーミュラ引退に未練はあるというものの、会見の間、しんみりすることはなかった。そして、「最後は勝ち逃げできたら最高ですね」と笑った。
Text: Shigeru KITAMICHIPhoto: Atsushi BESSHO