全日本F3000

童夢インサイド・レポート vol.2-2

           エイベックス童夢レーシングチーム
    1995年 全日本F3000選手権シリーズ第2戦 レースレポート
       「中野信治&avex童夢、雨中の激走!」の巻 その2
<決勝レース>
 何につけ、仕事をする上で自分に自信を持つことは大切ですが、レーシング・ドラ
イバー、特に中野選手のような若手ドライバーにとっては、自信を持つことが将来よ
り大きく成長できるか否かのキーポイントとなります。
 昨年のシリーズチャンピオン・チームで闘うことは、25歳の中野選手にとって、実
際、大きなプレッシャーです。そのプレッシャーを励みに変えるには、やはり良いタ
イムを出して自信に繋げることが必要不可欠なのです。
 いつも冷静な中野選手ですが、予選5番手グリッド決定の喜びと内に湧いた自信は
、その表情をほころばせ、一層の落ちつきをもたらしたようでした。
 最終予選終了後、三つのサポートレースをはさんで、午後1時20分が決勝スター
トの予定時刻です。
 ところが、二つ目のサポートレースが行われる頃から、富士スピードウェイ上空の
雲行きがだんだん怪しくなり、ついに三つ目のサポートレース中に、ポツリポツリと
雨が降り出したではありませんか。いつもはピット左斜め前方はるかに見える霊峰・
富士も、灰色の厚い雲に隠れてしまいました。
 時間とともに雨はますます激しさを増し、コース上のあちこちに水たまりが出来て
います。どう見ても決勝レースは、ウェットコンディションです。
 主催者の設けたレイン・タイヤによる特別フリー走行時間のあと、全車がスターテ
ィング・グリッドに整列する頃には、コース上がすでに川のように水が流れているの
が観客席からでもわかりました。
 雨のレースが好きというドライバーはまずいないでしょうが、雨になると走りに元
気の出るドライバーはいます。雨のレースは滑り易く危険な反面、ドライバーの本領
、ドライビング・テクニックが試されるからです。かのA・セナ選手などがその代表
でしょうか。
 中野選手も、カートやF3時代から雨のレースになると俄然元気の出るタイプで、
17歳の時に出場したカートの世界一決定戦、香港カート・グランプリでは見事優勝し
たこともあります。
 一周のフォーメーション・ラップを終えて、全車グリッドに再整列。いよいよ、決
勝レースがスタートしました。
 雨に足元をとられて出遅れるマシンのなかで、どんぴしゃりのダッシュを決めて、
猛然と1コーナーへ向かうマシンがいます。カーナンバー8のオレンジ色のマシン、
avex童夢です。
 予選3番手ですぐ前のグリッドにいたA・G・スコット選手のわきをすり抜けた中
野選手は、ポールポジションの服部尚貴選手に続く2番手で1コーナーをクリア。A
コーナー、100R、ヘアピンとはらはらするスピードでトップの服部選手を追い掛
けましたが、ドライ・コンディションの予選では調子の良かったハンドリングが、雨
となったいまは思うようにならず、最終コーナーで後ろのスコット選手に追いつかれ
てしまいました。
 しかし、2台が並走する恰好で向かった2周目の1コーナー進入で、スコット選手
のアウト側にラインを取った中野選手は、ブレーキングをギリギリ我慢してスコット
選手より先に1コーナーに進入! まったくのサイド・バイ・サイド、両者の息詰ま
るバトルをモニターで見守っていた関係者の間から思わず感嘆の声が上がりました。
 ところがその時、中野選手らからはるか後方のメインストレートを走行していた2
台のマシンが雨にのってスピンし、コース脇のコンクリート・ウォールに激突する大
アクシデントが発生したのです。
 幸い二名のドライバーに大事はなかったのですが、このアクシデントでレースは赤
旗中断。コース上の全マシンがピットに入りドライバーには待機の指示が出ました。
 その後レース主催者とチーム関係者の間で懇談がもたれ、一度は天候の回復を待ち
ましたが、ドライバーやチーム関係者の中からは危険すぎるコンディションでのレー
ス続行に反対の意見もあがり、最終的にはレースは中止されることとなりました。
 確かに、雨が降っていても、ドライ・コンディションでのタイムから20~30秒落ち
のラップタイムで走れる状況ならば、ドライバーはマシン・コントロールできますし
何とかレースも可能でしょう。
 しかし、この時のようにドライでのタイムから40秒落ちでしか走れない状況となる
と、もう危険としか言いようがありません。
 2番手という好ポジションにつけていただけに、中野選手としてはどんな状況であ
れレースを続行したい気持ちもありましたが、危険なコンディションであることは認
めざるを得ませんでした。
「ストレートでも車がまっすぐ走らないんです。レーシングマシンというよりはモー
ターボートのようでした」と語る表情はさすがに無念そうでしたが、眼の奥の光まで
消えはしませんでした。
 たった2周とはいえ、ギリギリ限界の困難な状況で展開したスコット選手との闘い
で、中野選手はドライバーとしてまた一段、成長したようです。
 次の闘いは5月7日、MINEサーキット。
「先月のあそこでやったタイヤ・テストでいいタイムを出してたから、次はもっとイ
ケると思うよ」という松本監督の関西弁にも、開幕戦の時とはまた違った力強さが響
いていました。
                      第2戦レポート(了)


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