
Formula Beat 地方選手権シリーズ(F-Be)及びスーパー耐久シリーズST-2クラスの有力コンテンダーである日本自動車大学校(略称:NATS)は千葉県成田市にある自動車関連の私立専門学校である。
同校は1989年に開校し、翌90年には国内初の4年制・自動車経営科(現 自動車研究科)をスタートさせ整備だけでなく経営や販売のノウハウも習得できる学校となった。さらに1998年には「カスタマイズ科」、2005年には「モータースポーツ科」を開設。同科は今年20周年を迎える。学生は1年、2年を自動車整備科で過ごしクルマの構造や整備の基礎を学び2級自動車整備士となる。そこから希望によって1年過程のカスタマイズ科、モータースポーツ科、2年過程の自動車研究科へと進むことができる。この3年次以降の授業がNATSの特色だそうで、そこを目標に入学してくる学生が多いという。
東関東自動車道大栄インターチェンジから1分の好立地にあるキャンパスは15万平米の広さを誇り、学科別に整備用のガレージが建てられていて、ショールームには過去に製作されオートサロンで披露されたカスタムカーや学生フォーミュラの車両が展示されている。さらに授業で使うためのR34スカイラインやロードスターなどのスポーツカーを始めかなりの台数の実習用車両が並べられている。敷地内にはミニサーキットやジムカーナ場、ダートコースまで設置され、開発、メンテナンスされたレース車両のシェイクダウンやテストも行われる。敷地内にこの規模のコースを有する自動車専門学校はほぼないそうだ。
今回訪問のモータースポーツ科はモータースポーツビジネスやレギュレーション、チーム運営や空力、サスペンションの理論や、パーツ製作の為の金属、非金属の加工、チューニングなどモータースポーツ固有の技術を学ぶ。そしてもっとも比重が大きいのがガレージでのマシンメンテナンスと、実際にレースに参戦して現場でのサーキット・サービスの実習である。そのため、モータースポーツ科ではプロのチームに混じってF-BeとS耐に参戦するほか、JAF-N1規格で製作されたロードスターで耐久レースに参戦している。F-BeとS耐では金井亮忠モータースポーツ科長がドライバーを勤め、学生はメカニックやエンジニアとして活動する。ロードスターでのレースにおいてはドライバーも学生が担当している。
モータースポーツ科のレース参戦は開設直後から富士のFJ1600、Vitzレースなどで行われ、F-Be(当時はJAF-F4選手権)は、まずWEST056を導入して2008年西日本選手権第5戦鈴鹿に出場後東日本シリーズに転じて菅生ともてぎで入賞、ランキング7位となった。翌2009年は東日本シリーズに4戦出場し3回の表彰台でランキング4位。そして2010年、東日本シリーズ6戦全戦に出場、2勝、2位3回、3位1回という戦績で3シーズン目にしてシリーズチャンピオンを獲得、合わせて東西シリーズを通じて争われるグランドチャンピオンシップにも輝いた。2011年、12年もシリーズ上位で戦うと、2013年からはオリジナルマシン「NATS001」を投入した。投入直後から戦闘力を発揮したNATS001は2戦目の富士で早くも優勝、その後も上位を争い東日本シリーズ4位、以降も毎年上位を争っており、2018年にはオリジナルマシンでシリーズチャンピオンも獲得している。
一方2020年からロードスターでS耐ST-5クラスにも参戦を開始。2021年にランキング3位、2023年にはシリーズチャンピオンに輝いている。
今シーズンのF-Beは2月22~23日の鈴鹿チャンピオンカップレース(旧クラブマンレース)で開幕する。初戦に向けて準備が進む中、ドライバーの金井亮忠モータースポーツ科長にインタビューを行った。
●金井亮忠モータースポーツ科長(以下敬称略)インタビュー
――モータースポーツ科では3つのレースカテゴリーに参戦していると理解したが、それぞれに担当の先生がつくのか?
「その通りで自分がS耐シビック、菊地先生がF-Be、板垣先生がロードスターの開発やメンテナンスを指導しています。S耐とF-Beのドライバーは自分が担当しています」
――F-Beは今回の鈴鹿までが今の3年生によるレースか?
「その通りで、昨年のシリーズ最終戦後にマシンはいったんバラバラにしてメンテナンスを行い、学生は1年間学んだ技術やノウハウをつぎ込んでマシンを組み立ててレースに出て卒業、ということになります。そして、次の参戦は5月24-25日のもてぎでこれが新3年生での初レースになります。
一方S耐は3月22-23日の開幕戦は卒業式後になりますが、現3年生(卒業生)が担当してくれる予定になっています。本当の卒業レースですね。
――モータースポーツ科に進む学生は、2年生の終了時に進学を希望するのか?
「1年、2年の自動車整備科もクラス編成の際にモータースポーツ科やカスタマイズ科、自動車研究科など将来の志望先で分けているので、ほぼ1年生からモータースポーツ科志望がはっきりしています。もちろん在学中に進路を変更することも、2つ以上の科で学ぶことも可能です。2023年度のモータースポーツ科の学生数は27人、今年は少なくて19人ですが、だいたい毎年20人から30人の間です」
――モータースポーツ科ができるまでもモータースポーツ関連の授業は行われていたのか?
「それまでモータースポーツの授業はなくて、部活として取り組まれていました。私が学生としてNATSに入った時(2002年)にはまだモータースポーツ科がなくて、放課後の部活でスズキのワンメイクレース(フォーミュラ隼など)をやっていました。たぶんその活動が、NATSが自前のチームとしてモータースポーツに関わった最初だと思います」
――モータースポーツ科の1年の流れは?
「4月に進級してくるまでは一切レースには関わっていないので、そこからになるわけですが、レースシーズンの方はすでに始まっているので、一番初めに基礎的な勉強はしますが、ほぼいきなりレースが始まる感じですね(苦笑)。そこからレースの合間をぬいながら、学科の授業を行ったり、公認審判員の資格を取ったり、といったようなことで進んでいきます。ですので、4月5月の頃のレースはかなりバタバタですね。毎年レーススケジュールにもよりますが、F-Beは最近2月に鈴鹿で開幕というのが定例なので、そこが1年の集大成のレースになっています」
――NATS001はすでに何シーズンも戦って、セッティングなどデータも揃っていると思うが、学生はまずそれを引き継いで、それから自分たちのアイデアとか技術を投入することになるのか?
「毎年そんな感じなので、マシンはどんどんアップデートされていきますね。そういう意味ではF-Beはマルチメイクで教材として非常にいいカテゴリーです。規則の中でいろいろ自由にパーツを作ったりとかクルマを改良したりとかできるので、モノづくりの勉強に適していると思います」
――NATS001は2013年から投入されたと思うが、マシンについて教えてほしい
「2010年にアルミモノコックのWEST056でチャンピンを取りましたが、この年にレギュレーションが変わってカーボンモノコックの使用が認められ、エンジンもそれまで1850ccが上限だったものが2000ccまで可になった。何とかチャンピンは取れましたがやはり2000ccの方が速いし、シーケンシャルミッションだし、ということで、2011年にマシンの後ろ半分を新しくしました。WEST056のモノコックに2000ccのエンジンとシーケンシャルミッションを積みました。その後2012年にUOVAの共通カーボンモノコックを買って、前年に新しくした後ろ半分をくっつけてNATS001を作りました」
――NATS001の設計は誰が?
「基本僕がやりました(笑)。で、学生と一緒に作っていったという感じですね。一番初めに作ったNATS001はフロント半分がRD-10W(東京R&D製)で、後ろ半分がWEST056の2000cc仕様をくっつけて1台にしたという感じでした。そこからモノコックはずっと使い続けていますが、それ以外の部分は面影がないくらい進化しています」
――ボディデザインや空力とかはどうやって?
「一番初めはムーンクラフトのカウル(MC090)を中古で入手してつけていました。UOVAのモノコック使っているのは東京R&DとB-MaxとムーンクラフトとZAP SPEEDで、エンジンマウントとかサブフレームには違いがありますが、ほぼ全車同じアームを使っていたり、中身は同じでカウルが違うという感じですが、ウチの場合はシャーシが違う形をしています。カウルをイチから作るのは大変ですし、みんな風洞にかけたりして作られているので、それを活用したということです」
――シーズンが進む中で学生のアイデアで作られたパーツを投入するということもある?
「けっこうありますね、テストしてみて良ければ採用されます。そういう改良を行っていくことで学生のモノづくりの技術も養っていきます。ほぼ毎レース、マシンのどこかは変わっているので、写真を見るだけでいつのレースかわかるときもあります(笑)」
――今JAF戦ではF-BeとS耐(ST2クラス)に参戦しているが、体制や活動に違いはあるのか?
「厳密には異なる部分もありますが、活動しているのはいずれもNATSです。F-Beは完全に自前のチームとしてやっていて、S耐は今のチームオーナーは山野(哲也)さんで、僕らはクルマのメンテナンスやレース運営を任されている形です。去年からクラスをST-5からST-2にステップアップしたのも山野さんがきっかけです」
――教材としてシビック(FL5型)はどうなのか?
「正直大変ですね(苦笑)。クルマ自体のノウハウもないし、いろいろ探って新しく色んなモノを作ったりして改良したりとか毎回やっているので、大変ですけれど新鮮さがあって楽しいです」
――F-BeとS耐で学生は両方関わったりするのか?
「基本的には別です。ですが今年F-Beの班の人数が少ないので、2台体制で出るときは他のグループから応援で来てもらうことはあります」
――モータースポーツ科を卒業した学生はモータースポーツ業界に進む率が高い?
「業界からの求人はものすごく多いのですが、レース業界に行きたい学生というのがそれほど多くないです。年によってバラつきはありますが、今年今いる3年生はあまり業界への志向が強くないので、ある意味企業さんは学生の取り合いみたいになっています。モータースポーツ科を卒業してメーカーに行くとか、ディーラーに進むとか、後は開発系の企業に進んだり、けっこういろいろですね。
レース業界からの求人については業界内に卒業生がかなり増えて、そこから横のつながりができたりとか、S耐に行ったときに他のチームの卒業生から話を貰ったりとか、もちろんチームから直接電話かかってきたりすることもあります。ここまで本格的にモータースポーツやっている学校があまりないので」
――モータースポーツ科が開設されて20年、その間に学生の気質とか目標意識に変化はあるか?
「モータースポーツ科の学生の気質が変わったというより、この学校に入ってくる学生、今の18~20歳の子たちの志向が違うので。始まった当初、僕も2006年に卒業しましたが、その頃はもう『くるまバカ』みたいな感じで、いつでもクルマのことしか考えてなかった。今の子たちは、クルマが好きだとしても、ずっとクルマじゃなくて、他にもいろいろなモノがあるので。あと今の子はあまり競争をしてきていない。昔は何かにつけて勝負したりとかありましたけれど、今はみんなで仲良く、みたいな雰囲気が強いかな(笑)、そういった意味ではだいぶ変わってきましたね。ただ経験してみたいとかやってみたいという気持ちは強く持っているので、そういう経験をさせることを大事にしています」
――昨年の最終戦の表彰式で、先生が表彰台の一番高い場所に立っているのを見た学生はとても弾けていた。ああした経験ができると、変わってくる?
「そうでしょうね。一所懸命やってそれが結果として出るとうれしいとか悔しいとか、そういうことをあまり経験してこなかった子が、この1年レースをやってきて、やりがいとか、自分がやったことに対して報われることとかを経験して、いろんな感情がでてきたり、そういった部分で成長が感じられるかなと思います。1年たつとけっこう変わります」
――金井先生のモータースポーツ歴は?
「小学校6年生でカートレースを始めて、最初は地元の榛名でやっていました。高校1年生の時に、地方選手権でチャンピオン取って、高校2年の時には学校の部活(エコ マイレッジ チャレンジ)を一生懸命やっていました。モノづくりが大好きなので、部品つくってクルマを組み立てるとかが好きで、その間カートレースは地元だけにとどめていました。そのエコレースで全国優勝したので、高校3年生はレースに戻って全日本選手権に初めて出て、東地域のトップ、東西合わせてシリーズランキング2位になりました。その頃一緒に走っていた選手だと、東西合わせたトップは小林可夢偉選手です。あとは東地域のライバルだと山本尚貴選手とか、関口雄飛選手ですかね。大嶋和也選手や小暮卓史選手は同じ地元で良く一緒に走っていました。
高校卒業のタイミングでカートはやめて、NATSに入学してから当初は学校とは関係なく地元群馬の方の支援でVitzレースに出場しました。翌年もチームを移籍してVitzレースにシリーズ参戦、その頃にNATSにモータースポーツ科ができることになり、翌年から学校でVitzレースをやるようになりました。専属ドライバーをやらせてもらえるようになったのはこの頃からです。その後NATSを卒業して教師になり、レースもアルテッツァレースへとハコでステップアップしました。アルテッツァは大変なクルマでしたね(苦笑)。
で、そこから2007年にはフォーミュラトヨタに出場、FT30の最後の年でした。井口卓人選手とか、国本京佑選手、ケイ・コッツォリーノ選手なんかと戦っていました。カートからいきなりフォーミュラではなく、ツーリングカーをやってからのフォーミュラですね。そして2008年と2009年にはFCJにFTRS・チームNATSで出場しました。2008年には学校でJAF-F4を始めていて、FCJは半分プライベートな体制でした。フォーミュラトヨタのオーデションを受けたこともあって、FCJはFTRSの一員として乗せてもらっていた感じですね」
――F-Beより上のカテゴリーというのは考えてない?
「教材としての魅力の有無と、費用的な部分も桁違いに変わってきてしまうので、現実的じゃないかなと思います。一方スーパーFJだとパイプフレームですがF-Beは上位カテゴリーと基本的なマシンのつくり同じなのでそこから先のカテゴリーで必要な基礎を学ぶという意味でも、卒業後にいろんなカテゴリーで通用する技術を身につける意味でもちょうどいいと思います。
最近は整備とか修理と言ったら部品交換がほとんどですが、モノづくりとかちょっとした加工ができるとかいうのが普通のディーラーさんの整備士とは違うところなので、そうしたモノづくりを重視してできるカテゴリーがF-Beかなと思います。NATSのスタンスとしてはドライバーではなくメカニックの教育のために(レースを)やっているので、このカテゴリーをずっと続けているということですね」
――4月に初めてマシンに触りだして先生を乗せて走るということで、学生はプレッシャーを感じている?
「プレッシャーはあるでしょうね、でもちゃんとマシンが走ればそれが自信になって、一つ一つ技術を身につけていけばいいのかなと思っています」
インタビュー後にテストコースとモータースポーツ科の建屋を見学。テストコースは1.2キロのミニサーキットだが比較的高速な設定で、学生が走ることもあってかコーナーは広めにとられている。ダートコースでは毎年クラス対抗の耐久レースなども行われるという。コース脇には学生の親睦の為にバーベキュー場なども設置されている。
モータースポーツ科棟内では、初戦を翌週に控えたNATS001が鈴鹿へ向けて組み立て中、さらに翌週にはS耐のテストがあるが、シビックはエンジンが降ろされている状態。そしてロードスター班はフロントカウルの製作に余念がなかった。建物の中には過去にレースで出たEP82やVitzなどもきれいな状態で保存され、隣の部屋にはシミュレーターが2台、授業で使うほか希望する学生には自由に(ただし時間制限付き)使わせている。
学生たちは皆明るく作業をしており、充実した環境で学んでいることがうかがえた。
今シーズンもNATSの戦いぶりに注目だ。




Photo: Junichi SEKINE
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