1994年4月13日 -1992年全日本F3000選手権シリーズ第2戦- 濡れた路面に痛恨のスピン 開幕戦のポール・トゥ・ウィンを飾ったプロミス&レイナードチームとロス・ チーバーは、慎重な構えでこの第2戦に臨んだ。事前に行なわれるテストがいず れの日程も雨に見舞われ、ドライコンディションでの十分な走り込みを富士スピ ードウェイでも行なうことができなかった。 [4月11日:予選]今回の参加台数は合計26台。そこで、今回の予選はA組B 組という組分け無しにタイムアタックが行なわれた。前日の金曜日に予定されて いた公開練習が雨でほとんどテスト走行できない状況だったことから、1回目の 予選時間の最初の15分間はテスト走行時間にあてられた。天候は薄曇。しかし、 前日の雨の名残でコース上はまだ濡れている部分があり、各車ともレインタイヤ でコースインする。25番ロス・チーバーもレインタイヤで慎重に走行を始めた。 その後、40分間の予選走行が行なわれたが、チーバーはテスト走行の不足を補う ため、縦溝を刻んだカットスリックタイヤでマシンセッティングに専念し、午後 に行なわれる2回目の予選にすべてをかけた。「予選は1周で決まる。そこで全 力を出せるよう、1回目の予選はマシン状況を知るための走行に専念し、多少危 険だったがタイムアタックは午後だけ行なうことにした」とチーバー。そして、 予選2回目。各ドライバーのラップタイムを見極めた上でチーバーは最初のタイ ムアタックに入り、1分16秒958のベストタイムをマークする。さらに、予選時 間終了間際に2回目のタイムアタックを行ない、1分16秒204のコースレコード でポールポジションを獲得した。従来のコースレコードは1分16秒316であり、 これは昨年の第10戦でチーバー自身が記録したものだった。 [4月12日:決勝]早朝に行なわれるフリー走行で、25番ロス・チーバーは 1分17秒582の2番手のタイムを出した。最速タイムを出したのはフォルカー・ ヴァイドラー選手。ヴァイドラー選手は前日の予選で3番手に着けており、決勝 レースでは強力なライバルになると予想された。花曇りの空から、スタート直前 になって雨が降り始めた。雲の流れは速く一過性の雨と思われたが、その降りは やや強く、コース上は濡れ始めた。各車はスリックタイヤを装着しており、フォ ーメーションラップでスピンするマシンが出たが、決勝レースのスタートは予定 通り行なわれた。濡れた路面にもかかわらず抜群のスタートを切ったチーバーは 先頭で第1コーナーへ向かった。しかし、1コーナー手前の濡れた路面にタイヤ がスリップし、単独スピン状態になってそのままコースサイドのグラベルベッド へコースアウト。その場でストップし、第2戦のチーバーのレースは0周でリタ イアとなってしまった。 -ドライバー&チーム監督コメント- ●ドライバー/ロス・チーバー(Ross Cheever) スタート前になって降った雨で路面が滑りやすくなっていた。1コーナーでは 通常よりも早めにブレーキングを始めなければならないほど路面が濡れていたが、 後続マシンが直ぐ後ろに迫っていたので、早めのブレーキングを踏むことができ なかった。それでスピンをしてしまったんだ。とても残念な結果になってしまっ たが、どうしようもなかった……。 ●チーム監督/本間勝久(KATSUHISA Honma) 彼もベストを尽くしたし、「これもレース」と言うしかありません。フォーメ ーションラップを終えてグリッドに着いたときにタイヤが雨で濡れていましたか ら、スリックタイヤだったので心配はしていたんですが……。スタートは良く、 しかしそれが今回は不運な結果となってしまいました。スリックタイヤで濡れた 路面を先頭で走れば、不利な状況となってしまうのは仕方のないことですよ。く よくよしていてもしかたありませんので、次の勝利へ向けてまた頑張ります。こ れからも応援をよろしくお願いいたします。 レースデータ ●開催日/4月11日(予選)~4月12日(決勝) ●開催地/富士スピードウェイ(静岡県):1周 4.470km ●主催者/ビクトリーサークルクラブ(VICIC)、日刊スポーツ新聞社、テレビ朝日 ●観客数/予選日:15500人/決勝日:64100人 ●天 候/予選日:薄曇り、10度C/決勝日:薄曇り、11度C 提供:プロミス&レイナード・レーシングチーム運営事務局