NISSEKIレーシングチーム '92全日本F3000選手権・レースレポート 第2戦・CABINインターナショナルフォーミュラカップレース (富士スピードウェイ) 意味ある完走 ====== 和田孝夫/ラルトRT24・無限MF308/ブリヂストン 予選24位(出走26台)/4月11日(土) 決勝14位(出走26台)/4月12日(日) (予選リリースは#126にあります) 《マシン》 ●NISSEKIレーシングチームにとっては第1戦の雪辱戦としたい今回の第 2戦であったが、事前に行なわれていた富士でのテストでもこれといったセッテ ィングに煮詰まらないままこのレースウィークに突入した。マシンに施した改良 点は以下のとおり。コーナーターンの動きをよりシャープにするため、もともと ロングホイールベースであるラルトRT24のホイールベースをショートタイプ に改造した。また、フロントダウンフォースを増加させるために、ボーテックス ジェネレーターの改良を試みた。 《決勝レース》 ●決勝レースは6万の大観衆が見守る中、45周で争われた。ウォーミングアッ プ走行も終わり各マシンが所定のグリッドについた頃、それまで何とか持ちこた えていた雲間から小雨が落ち始めていた。不安なままフォーメーションラップに 入ったが、雨は路面をひとおおり湿らせ、スリックタイヤには微妙なコンディシ ョンとなっていた。 案の定、スタート後の1コーナーでは、トップのチーバー、バイドラー、服部の 3選手がいきなりコースアウトするという波乱の幕開けとなった。24番手グリ ッドからスタートの和田は好ダッシュを決め、1周目のコントロールラインを1 7番手で通過していった。 その後レース序盤は鈴木と星野による激しいトップ争いが繰り広げられていたが、 その後方で和田は、思うように走ってくれないマシンとの格闘に必死になってい た。中盤になって前を行くライバルたちが次々とリタイアしていく中、和田はマ イペースでタイヤをいたわりながらの慎重な走行を続け、順位のほうも一進一退 を繰り返しながら少しづつアップしていき、26周目には14位に浮上、結局、 その位置をキープしたままゴールチェッカーを受けた。 数字としては14位に終わったものの、ケガのため昨年後半を棒に振り実戦から 遠ざかっていた和田にとって、今回のこの完走は、レース勘を取り戻すうえでは とても大きな“意味ある完走”であった。 ★決勝後のコメント *和田孝夫:」スタートはうまくいった。そのあとの1コーナーへの進入は慎重 にやったけど、それでもかなり滑ってたよね。とにかくストレートでまっすぐに 走ってくれないんだ。はじめのうちは路面も湿っていたから、まるでボートに乗 ってる感じだったよ。でも完走できたのは大きいね。今回は自分にとっては久し ぶりのレースだったし“カンを取り戻す”意味でも重要だった。体力的な面はペ ースが遅かったせいもあるだろうけど全く問題なかった。全体的な感想としては 与えられたパッケージの中で納得のいく走りができたと思うし、第3戦以降へつ なげる意味で“いいカン”を取り戻せたと思うよ」 1992年4月14日 NISSEKIモータースポーツ事務局