Formula Nippon

FN:A.ユーン第5戦鈴鹿リリース

>>>「人生で最もタフなレース」とアレックス

2000年7月2日、日曜日-鈴鹿サーキットで行われたフォーミュラ・ニッポン
第5戦は、36度という猛暑の中で行われた。
アレックスは20人中11位で終えた1時間半近いレースを振り返ってこう言った。
「僕の人生で一番タフなレースだったよ。僕は自分の身体が充分堪えたことを
喜んでいるけど、もっと鍛えなくちゃいけないね。でも、72周のレースの最後
まで、疲労で集中力を欠くことなく完走できたことはちょっと驚きさ」

スタートでアレックスは18番グリッドから1つポジションを上げた。
立川車(訳者注:脇阪薫一車の間違い)がグラベルに突っ込んだことにより
セーフティカーが入って2周後には、誰もが定められたピットストップをこな
した。アレックスはこのピット作業で2つポジションを上げた。

アレックスは、その後安定した周回を続け、OSAMUのアクシデントで再びセー
フティカーが入ったとき、まだピットストップをこなしていない車がピットイ
ンしたことにより13位にポジションを上げた。

46周目、金石がエンジントラブルでスローダウンし、アレックスは12位になっ
た。

52~61周の間、アレックスは安定した走行を続け、チームルマンのチームメイ
トである五十嵐と8秒あった差を0.5秒にまで詰めた。

「五十嵐は僕が急激に迫って、2周の間背後から1コーナーで攻めたてたこと
もあって、かなりまいっていたと思うよ」。

64周目に五十嵐を捕らえたアレックスは、10位の道上龍を攻略に取りかかった。
結局、アレックスは、道上から遅れること0.5秒、11位でフィニッシュを迎えた。
トタールタイムは1時間23分00秒535だった。

第5戦は、再びチーム・ナカジマの高木虎之介が1時間22分17秒358で優勝した。
チーム・ルマンの野田英樹が、5ZIGENのミハエル・クルムを抑えて2位に入っ
た。

アレックスは、翌週に控えたSUGOの公式テストで信頼性を増すために、このま
ま日本に留まることになるだろう。
「僕は鈴鹿よりさらにタフなサーキットで行われる次戦に期待しているんだ。
予選でいい結果を残すために、週末に車をできる限り煮詰めるよ。もし、予選
がうまくいけば、ポイント圏内でフィニッシュすることも可能なはずさ」

チーム・マレーシアのフォーミュラ・ニッポンプロジェクトは、日本レースプ
ロモーションとマレーシア青年スポーツ省で組織されたアジアモータースポー
ツ促進協議会により興され、フルフレックス・ラジウス、コニカ、マレーシア
航空、タグ・ホイヤー、ブリルクリーム、パングローバル保険、ルマン株式会
社のスポンサーにより運営されています。


情報提供:TEAM MALAYSIA
          ALEX YOONG International Ltd. 


          ** FMOTOR4F SysOp 北島滋穂(sdi00685@nifty.com) **



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