SUPER GT

SGT: 山野哲也がスーパーGTを勇退。ツインリンクもてぎで会見を開く

今シーズンを以てスーパーGTを勇退することを明らかにした#61SUBARU BRZ R&D SPORTの山野哲也選手は11月3日、スーパーGT最終戦の開催されているツインリンクもてぎで記者会見を開き、この決断に至った経緯と今後の抱負について語った。
会見にはスバルテクニカインターナショナル(STi)総監督の辰巳英治氏も同席。
2007年から7シーズンに渡ってスバルのレース活動を支えてきた山野選手の功績を讃えた。

山野哲也のコメント
「このもてぎ戦を最後に、スバルのファーストシートを去ることを決断しました。
振り返ればスーパーGTには1999年RE雨宮レーシングでデビューしまして、そこから2006年迄が山野哲也の中での前期といえるシーズンですね。その前期の中でチャンピオンを3年連続で、しかも全て異なるチームでというまだ誰も達成していないリザルトを残すことが出来たことに凄く自信と誇りを持っています。
その直後に、スバルがどん底だった時期がありまして、そのスバルをどうしても勝たせたい、もしスバルを勝たせることが出来れば本物のレーシングドライバーになれる、という思いで雨宮さんにごめんなさいをして、そこからクスコに飛び込みました。2007年から2013年迄の7年間、ずっとスバルに居続けて、乗り続けてきた時間の中でインプレッサ、レガシイB4、そしてBRZ、この3車種で5勝を挙げることが出来た。チームもスバルも本当に頑張ってくれて、スバルが活躍できる土壌を作れたことを誇りに思っています。
今年特にスバルBRZが進化しました。昨年このまま終わるわけにはいかないと思っていましたが、今年は皆さんご存知のとおり5回もポールポジションを獲ったし、鈴鹿でも優勝で来ました。鈴鹿では自分自身でコースレコードを更新することが出来て、これがまあ今回の(決断の)一つのきっかけになったかなと思っています。
自分のスポーツ選手として、レーシングドライバーとしての、速さを持ったまま次のステージにそろそろ早めに進むべきじゃないのかな、と思ったのがきっかけです。
今度シリーズチャンピオンを争う時は後輩たちに頑張ってもらおうと思いました。
そうは言ってもこれからもレーシングドライバーとして様々なカテゴリー、この前チャレンジしたラリーとか、海外レースなども含めて色んな選択肢でモータースポーツにチャレンジしたいですし、今迄ずっとやりたかった市販車の開発、自分の夢でもある世界で認められる市販車の開発もやっていけたらと思います。その一方で自分の得意とする車両開発もしくはお客様のドライビングアドバイザー、或いはモータージャーナリストとして色んな部分で活躍していけたらなあと思っています。
これ迄のキャリアを一言で言うと『達成感』です。
前期でチャンピオンを沢山獲って、後期でスバルに在籍して沢山の優勝をすることが出来た。そういう思いが今回の決断に繋がり、STiさんと相談して、最終戦の前に発表をしたいという許可を貰いました」

辰巳監督のコメント
「山野選手には7年間在籍していただきましたが、私は昨年から携わり始めたのでGTに関しては素人です。
今迄スバルにはレースをやるというイメージがありませんでした。勿論ラリーでは活躍してきたし、GTでもクスコさんがやってこられたのは知っていましたが。
それが山野さんに乗ってもらってからインプレッサ、B4、そしてBRZと全ての車種を勝たせている。すごいなと思いますし、ここまでクルマを育てていただいた功績は大きいです。
それにGTの世界で、山野さんのようなドライバーがファンを呼び込んでくれる。レースファンだけでなくクルマファンがサーキットに集まってきてくれる。この功績も大きいと思います。その中でスバルを辞めてどっかへ行く、というのであれば僕も反対するんですけど、後進に道を譲って、勇退という形で自分はアドバイザーとして残っていただける、という話でしたので、それは山野さん的に凄くカッコいい辞め方だなと思いました。本当にありがとうございました」

まとめ:Kazuhisa SUEHIRO


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