Archives

  • [—]2020 (102)
  • [+]2019 (579)
  • [+]2018 (552)
  • [+]2017 (564)
  • [+]2016 (639)
  • [+]2015 (714)
  • [+]2014 (655)
  • [+]2013 (623)
  • [+]2012 (621)
  • [+]2011 (484)
  • [+]2010 (554)
  • [+]2009 (522)
  • [+]2008 (467)
  • [+]2007 (596)
  • [+]2006 (530)
  • [+]2005 (460)
  • [+]2004 (304)
  • [+]2003 (454)
  • [+]2002 (454)
  • [+]2001 (217)
  • [+]2000 (408)
  • [+]1999 (376)
  • [+]1998 (465)
  • [+]1997 (424)
  • [+]1996 (1)
  • [+]1995 (425)
  • [+]1994 (411)
  • [+]1993 (423)
  • [+]1992 (519)
  • [+]1991 (423)
  • [+]1990 (250)
  • [+]1970 (1)

ニュース内検索

全日本F3000

F3000 レポート [Rd.4 Suzuka] (1)

                  Rd.4 Suzuka
           [ MILLION CARD CUP RACE Round2 SUZUKA ]
                  1994.5.22
                    (1)
               《サーキットの情景》
 ----------------------------------------------------------------------------
 ■最後の戦い
 Text/福田 陽一(Yoichi Fukuda)
  チーバーがついに最後のアタックに出る。周回数21周目の事だ。アピチェラはス
 タートと同時にレースの全てを掌握していた。そのレース展開はチーバーには、とて
 も届かない様に見えた。それでもレースは終わってみるまでは“何が起こるか分から
 ない”。幸いチーバーのマシンはレース後半になって調子を取り戻していた。
  チーバーは21周目に自身では始めて1分46秒台のタイムを記録する。更に23
 周目に46秒388を記録し、中盤アピチェラとの7秒近い間隔を6秒台までに縮め
 る。翌周その差は5秒09に、26周目には5秒01、27周目には4秒70と明ら
 かにその差は詰まっている。他車が47秒台の攻防を繰り返している時、チーバーと
 アピチェラは46秒台の高度で静かなバトルを行っていたのだ。
  そして、のこり7周となったところで、アピチェラがペースアップを開始した、
 チーバーも時を同じくしてアタックを強める。28周目にチーバーが46秒372を
 記録するとアピチェラが46秒306と僅かに上回ってくる。そして翌周チーバーは
 46秒020とコンマ3秒も速いタイムを叩きだしたにも関わらず、アピチェラは
 45秒858という信じられないタイムを突きつけてきたのだ。チーバーには決定的
 な敗北だった。
  “最後の戦い”はこの瞬間に終わった。
  結果的には、全てがアピチェラ中心に動き、彼の戦略の当たったレースだった。彼
 の言う「グッド・スタート」がレースの全てだったかも知れない。チーバーとの“最
 後の戦い”も彼の戦略の一部だったのかも知れない。たとえ見かけ上は、何のことは
 無いパレードレースだったとしても、ボク達はそこに何とも“凄まじい男達の戦い”
 があったことを見逃してはならない。
 ----------------------------------------------------------------------------
 ☆ 詳しいレースの模様は、 (2)《F3000レースレポート》をご覧ください。
 ----------------------------------------------------------------------------
                           文/福田 陽一(NBG01300)


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

検索

最新ニュース