全日本F3000

F3000:プロミス&レイナードRT'92年体制1

「プロミス&レイナード・レーシングチーム」
1992年全日本F 3000選手権シリーズにフルエントリー
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1992年 2月10日
「プロミス&レイナード・レーシングチーム」がシリーズチャンピオンを目指し
2年目のチャレンジを開始します。 当チームは昨年、イギリスの世界的なコン
ストラクターであるレイナード・レーシング・カーズ社、日本のレーシングチー
ムの草分けとして輝かしい戦歴を誇る株式会社ル・マンと、「アメニティーライ
フ提案企業」を目指し各種の文化・スポーツイベントを展開してきたプロミス株
式会社の3年契約のパートナーシップのもとに発足しました。
昨年度は初参戦ながら最多の3回優勝、シリーズ2位と好成績を残すことが出来
ました。
しかし、これに慢心することなく、最強のチーム体制を確立すべく準備を整えま
した。
ドライバーは、昨年同様ロス・チーバー氏を起用。マシンは、性能が実証された
91Dに新たなコンセプトを採用したレイナード92Dを世界のチームに先駆け入手。
 昨年圧倒的な速さを見せた「ブリヂストン」に加え、「無限エンジン=東名エ
ンジンチューン」と完璧なコンストラクションを施した「プロミス・レイナード
92D」で全日本F3000選手権11戦にフルエントリーします。
このように現在考えられる最良のチーム体制でシリーズに臨む所存ですので「プ
ロミス&レイナード・レーシングチーム」に、皆様のご理解と暖かいご支援を賜
りますようよろしくお願い申し上げます。
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 提供              プロミス株式会社 営業企画部
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             ご挨拶
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弊社は、これまで「人に豊かなアメニティーを提供していく」という企業ポリシ
ーのもと、様々な文化・スポーツイベントに参加してまいりました。 昨年から
は「若者と共に新しいライフスタイルをクリエイトする企業」として、モーター
スポーツ分野に参戦させていただきました。
モータースポーツは、「最新のテクノロジーを採用したマシンと、それを操るド
ライバーやメカニックたちの"レースに勝つ"という一点の目的意識が融合して生
みだされるひとつのアート」と我々は考えます。 より速く走るために傾けられ
る努力と情熱が、モータースポーツファンのみならず、我々にも興奮と感動を与
えてくれました。
パートナーで有るレイナード・レーシング・カーズ社は、昨年度も国際F3000シリ
ーズ、英国F3000シリーズのチャンピオン・シャーシと成るなど、テクノロジー、
戦歴におきましても素晴らしい実績を持つコンストラクターでした。 一方、株
式会社ル・マンは日本のレーシングチームのトップリーダーとしての能力を充分
発揮され、シリーズ争いを存分に楽しませてくれました。
本年度も全日本F 3000選手権シリーズに、昨年度のパートナーと共に「プロミス
&レイナード・レーシングチーム」としてフルエントリーすることは喜びにたえ
ません。
昨年のこの席でお約束した「数年後には日本のモータースポーツ界をリードでき
るチームを目指してあらゆる努力を続けていくこと」を今年も忘れず続けてまい
ります。
チームと共に弊社プロミス株式会社も合わせて、皆様の深いご理解と暖かいご支
援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
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     プロミス株式会社 代表取締役 大利 貴彦(おおりたかよし)
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ドライバー・プロフィール
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名  前        ロス・チーバー(Ross Cheever)
生年月日        1964年4月12日
出身地  イタリア・ローマ
国  籍        アメリカ
言 語  英語、イタリア語、フランス語(多少)
1982年 イタリアのバレルンガにあるヘンリー・モロー・レーシングスクール
      (Henry  Morrough  Racing  School)でレーシングテクニックを学ぶ。
      2度目のレース出場であったイギリス選手権フォーミュラ・フォード
      1600ccで、優勝。この後わずか6カ月の間に、入賞12回、ラップ最高
        タイム2回の好成績をおさめ、注目を集める。
1983年 イギリス選手権フォーミュラ・フォード1600ccで、優勝8回、ポール
  ポジション9回、入賞20回、ラップ最高タイム5回、ラップ記録1回。
1984年 この年よりF3イギリス選手権に参戦。最終6戦のうち、スパ(Spa)、
         ザンボード(Zanvoort) 、ブランズハッチ(Brands  Hatch)、の3戦
      で優勝。
  その他ポールポジション2回。ラップ最高タイム1回、2度の2位。
      フォーミュラ・アトランティック・タスマン選手権4戦中、ウィグラ
      ム
      (Wigram)、ベイパーク(Bay  Park)、ニュージーランドG.P.で3勝。
         ポールポジション3回、ラップ最高タイム3回。シリーズチャンピオ
      ンとなる。
1985年 F3イギリス選手権5戦のうち、スパ(Spa)、ブランズハッチ(Brands
    Hatch)で優勝。フォーミュラ・アトランティック・オーストラリアン
      G.P.で、ポールポジション、ラップ新記録をともに打ちたて優勝。
1986年 フォーミュラ・アトランティック・タスマン選手権で、8戦中6戦に
      参戦。
  ベイパーク(Bay  Park)、マンフィールド(Manfield)、ニュージーラ
      ンドG.P.で優勝、同シリーズ2位。カリフォルニアのシアーズポイン
      ト(Sears  Point)でのスポーツルノーレースで優勝。
1987年 来日。全日本F3選手権に参戦。5戦優勝し、シリーズチャンピオンを
      獲得。
  全日本F3000選手権でも4戦に挑み、富士のグループCカーレースで2
      位。
1988年 全日本F3000選手権に参戦。
1989年 全日本F3000選手権に参戦。富士と西日本サーキットで優勝。入賞4回、
      シリーズ2位。ル・マン24時間レースでグループCにトヨタで参戦。
         日本でも3戦に挑む。
1990年 全日本F3000選手権で、2位1回、6位2回。同シリーズ第8位。
1991年 全日本F3000選手権に「プロミス&レイナード・レーシングチーム」か
      らフル参戦。
  7/28 全日本F3000選手権第6戦「スポーツランド菅生」で優勝。
  9/29 全日本F3000選手権第9戦「鈴鹿サーキット」で優勝。
  11/17 全日本F3000選手権第11戦「鈴鹿サーキット」で優勝。
  「スポーツランド菅生」のF3000コースレコードを記録。
  「富士スピードウエイ」のF3000コースレコードを記録。
  全日本F3000選手権シリーズ、第2位。


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