Archives

  • [—]2020 (101)
  • [+]2019 (579)
  • [+]2018 (552)
  • [+]2017 (564)
  • [+]2016 (639)
  • [+]2015 (714)
  • [+]2014 (655)
  • [+]2013 (623)
  • [+]2012 (621)
  • [+]2011 (484)
  • [+]2010 (554)
  • [+]2009 (522)
  • [+]2008 (467)
  • [+]2007 (596)
  • [+]2006 (530)
  • [+]2005 (460)
  • [+]2004 (304)
  • [+]2003 (454)
  • [+]2002 (454)
  • [+]2001 (217)
  • [+]2000 (408)
  • [+]1999 (376)
  • [+]1998 (465)
  • [+]1997 (424)
  • [+]1996 (1)
  • [+]1995 (425)
  • [+]1994 (411)
  • [+]1993 (423)
  • [+]1992 (519)
  • [+]1991 (423)
  • [+]1990 (250)
  • [+]1970 (1)

ニュース内検索

全日本F3000

F3000:オートポリス/チーム団体不参加発表

●F3000第5戦オートポリス
    F3000チーム団体、不参加を発表
 本日、日本フォーミュラ3000レーシングアソシエーション(略称JFR
A)から届いたリリースによると、JFRAは7月17~18日にカレンダー登録
されている全日本F3000選手権第5戦オートポリスのレースへの不参加を
決定、その経緯と見解についての説明(質疑応答)を明22日(土)鈴鹿サーキ
ットにおいて行なうことになった。
 同リリースによれば、一部にJFRA側の一方的なボイコットと受け止める
むきもあることから、このようなリリースの発表、説明会の開催になった模様。
以下は、そのリリースの全文。
  すがやみつる(SDI00104)/RIJ
 ==================================
 NEWS RELEASE
 日本フォーミュラ3000レーシングチームアソシエーション(略称 JFRA
 事務局 静岡県駿東郡小山町大御神220-1 ノバエンジニアリング(株)内)
では、1993年度全日本F3000選手権レース第5戦への不参加を決定しましたが、
その経緯と見解について発表します。
JFRAは、1990年に発足当初より、チームの意向を無視した年間レース数の
決定に不満を持っていました。最近では、1988~89年が8レース、1990年が10
レース、1991~92年が11レースとレース数は年々増加傾向にあり、1993年に関
しては12レースにまで膨張する恐れがありました。
年間レース数の増加はモータースポーツの発展の為にはメリットが大きいとい
う考え方もありますが、チームにとっては単純に年間経費が増加するだけで、
その為の金銭的な見返りは全く保証されません。ちなみに1レース増加した場
合、当然タイヤテストも1回増えるわけですから両方の費用を合わせると、チ
ームにとって差はありますが、トップチームでは1カーにつき2000万円以上の
経費増となります。また、スポンサーフィーは年間契約が基本ですから、レー
ス数の増減にはあまり影響しません。即ち、レース数の増加分の費用はチーム
側が一方的に負担する事になるのです。
そこで1990年11月にJAFに対し、年間の全日本選手権の懸けられるレース数
を8レース位に押さえ、その他のレースはノン・タイトル戦とするように要望
書を提出すると共にJOA(日本オーガナイザーアソシエイション)に対して
も、年間8レースを基本とするが、8レース以上の開催を希望する場合は11レ
ースを限度とし、その参加に要する実費をスターティング・マネーとして、申
し受ける事により協力するという提案を続けてきました。
しかし、日本では長年に渡り、エントラントは定められたレースに黙々と参加
を続けて来ましたから、これらの交渉も一朝一夕に解決できるものではありま
せんが、1993年に関してはJOAからレース数は年間10レースに調整するとの
回答がありました。
ところが、オートポリスはこのJOAに参加しておらず、JFRAとしては取
扱に苦慮していたところ、直後ご存じのようにオートポリスは東京地裁より破
産宣告を受け、その行方は我々の判断の及ばない所となりました。その後、破
産管財人となった三宅弁護士より営業許可を受けた旨、レースは開催する旨の
通知があり、我々としてはその実体の解明とレース数の調整を検討する必要上、
実質的にレース運営を担当していたJRSCCの代表者である塩沢氏を通じて
協議を行うべく連絡を行っていましたが、結果的に協議の場が設けられたのは
11月に入ってからでした。その時点では、どのような形で当レースが開催され
るのか全く不明瞭ではありましたが、三宅弁護士より「1週間以内にサーキッ
ト運営会社を設立し、その内容を明らかにすると同時に、レース開催に向けて
準備を開始する。」との方針が出され、JFRAとしてもスポンサーとの契約
等結論を急ぐ為に、運営会社設立後直ちに具体的な説明を受け、また協議を行
う事を約束して別れました。
しかし、その後、当方からの再三の要請にも拘らず本年度の1月末になっても
オートポリス側が協議に応じる様子はなく、JFRAとしてはレース開催に向
けて我々と協議する意志はないものと判断、本件をJFRA総会にはかり会員
の総意によって、第5戦オートポリスへの不参加を決定致しました。
しかし、例え92年度中に協議の場が持たれ、問題の無いレースが開催されるこ
とが確認出来たとしても、JFRAとしてはまずJOAへの速やかな加入を薦
めるしか手立てはありません。そして、JOAの中で再度調整して頂くのが、
最善、唯一の方法ですから、JOAに加入出来ないオートポリスが主催するレ
ース開催は元より不可能であったと言えます。
いずれにしても、我々は、オートポリスをターゲットにレース数を減少させよ
うとしたのではなく、結果的にオートポリスに不参加となったのは、オートポ
リス側の対応が遅すぎた事、JOAへの加入がなされていない事が主たる原因
であり、JFRAとしては開催サーキットを分散させ、地域ファンの拡大を図
る事を目的として、最後まで協力的な対応を続けたつもりです。
その後3月になってから(株)モーターレーシングセンターの石井氏等を通じ、
突然参加の要請が始まり、4月には新生(株)阿蘇レーシングパークよりスタ
ーティングマネー等の提示等ありましたが、この時点においては、現実的にJ
FRAの方針変更の可能性は皆無であり、また、スポンサーやタイヤメーカー
を始めとする関連企業も、10レースを前提に年次計画を決定しており、物理的
に開催は不可能であるといっても過言ではありません。その後、先方のたって
の希望により4月27日、(株)大分阿蘇レーシングパークの担当者とJFRA
幹事との会談が持たれましたが、この時点での会談はもとより無意味ですから
内容の報告は割愛させていただきます。
また、JFRAは、今回各チームや関連企業が本レースに参加する是非に関し
て、これほど紛糾するに至った最大の原因は、当選手権レース開催申請の受理
公認を行なった社団法人日本自動車連盟にあると考えます。本レースにおいて
は、公認コース、公認クラブからの申請という最低限の条件が満たされている
というだけで、実際には破産宣告を受け、レース運営はおろか、その経営に関
する基盤も確立していない実状にもかまわず、無責任に選手権レース開催の許
可を与え、その後の混沌とした不安な状況下においても、何の手立ても講じな
かった責任は重大です。本来、日本のモータースポーツ界の円滑な運営や将来
に向けての発展の為に尽力を尽くすべき当団体が、このような参加チームの存
在を虫した決定を行った事は誠に遺憾の極みであり、JFRAとしては当団体
の今後の対応を冷静に見守りたいと考えています。
(以下、質疑応答に関する日時、場所の説明)
                               以上


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

検索

最新ニュース