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Forumula Beat | コラム

ハンマー伊澤のフロム・ザ・コックピットLAP4「不屈の男」

LAP4 「不屈の男」

ハンマー伊澤

アレックス・ザナルディが亡くなった。
59歳だった。

私と同じ歳である。
それだけに、なおさら心に来るものがある。

ただ遠くの英雄が去った、という話ではない。
自分と同じ時間を生きてきた一人の男が、その生涯を閉じた。
そう思うと、その喪失はどこか個人的な重みを帯びるし、彼の生き様は、大きな病気を経験し付き合っている私にとって、生きる道標の一つでもあった。

速さを競う世界で頂点を極め、そこで終わらず、常人なら立ち上がることさえ難しい絶望的状況の中から、なお別の頂へ向かっていった。

その歩みは、単なる美談ではない。
むしろ、あまりに現実離れしていて、美談という言葉ぐらいでは軽すぎる。

CARTという、アメリカにおけるトップフォーミュラカテゴリーで2度チャンピオンになった。
その時点ですでに、ひとつの時代を築いた男である。
ザナルディは1997年と1998年、CART王者となった。

だが、彼の人生を真に特別なものにしたのは、その先だった。
2001年、CARTで大クラッシュを喫し、瀕死の重傷を負った。
幸い一命は取り留めたものの、両脚を失うこととなる。

それは、頂点を極めたレーシングドライバーにとって、あまりにも残酷な現実であった。

そこで心が折れてしまうのが普通だろうし、誰も責めることは出来なかったはずである。
多くの人間は、そこで競技人生は終わったと思っただろう。 あまりにも大きな喪失であり、あまりにも過酷な運命だったからだ。
だが、ザナルディは終わらなかった。

“身体を失っても、希望までは失わなかった”

絶望を受け入れながら、それでもなお前へ進み続けた。
絶望を知らないまま前を向くことは、ある意味では出来るのかもしれない。

だが、本当の意味で失い、本当の意味で現実を見た人間が、それでもなお進もうとすることは、言葉で言うほど容易ではない。

彼は、想像を絶する困難の中で、ひたすら前を向き続けた。

手だけで操作できるように、特別に作ったツーリングカーでのレースを続けた。
さらにハンドサイクル(手で漕ぐ自転車競技)の世界で、なんと!世界の頂点に立ったのだ。

パラリンピックで合計4個の金メダルを獲得したという事実だけでも、まったく持って常識離れしているとしか言いようがない。

ひとつの人生で、トップフォーミュラの王者となり、両脚切断という瀕死の重傷を負い、それでもなお、その後まったく別の競技で世界の頂点に立つ。

そんなことが本当にあり得るのか、と普通は思う。
だが、彼はそれを現実にしてしまった。

本当に、あり得ないほどの不屈の精神である。

そして、その闘いはなお終わらなかった。

2020年、ハンドサイクルのレース中にトラックと衝突し、脳に重い損傷を負ってしまう。 長い昏睡状態が続いたが、その後は自宅療養ができるまでに回復した。

だが、言葉(コミュニケーションとしての)も失い、なおリハビリの途上にあったのである。

人生と向き合う闘いは、最後まで続いた。
2026年5月1日、アレックス・ザナルディはその生涯を閉じた。

人間の強さとは何だろうか。

腕力や根性論だけでもない。 まして、弱さを見せないことでもない。

本当の強さとは、自分の身に起きた取り返しのつかない現実から目を逸らさず、そのうえでなお前へ進む力のことではないだろうか。

ザナルディの人生は、そのことを心に突きつける。

希望とは、都合のいい未来予想ではない。
希望とは、壊された現実の上に、それでももう一度立とうとする意志なのだと、彼はその身をもって示した。

最後まで闘っていたのだと思う。
競技という意味だけではない。
生きることそのものと、闘っていたのだと思う。

失ったものの大きさに呑み込まれず、残されたものを磨き上げ、そこから新しい地平を切り開く。

それは派手な言葉よりも、はるかに強い。

彼の生き方そのものが、人間の強さの証明であった。

そしてまた、そこにはモータースポーツという世界の、ある本質もあるように思う。

速さを求める世界は、ときに人から多くのものを奪う。
だが同時に、その世界を生きた者の中には、奪われたあとにすら立ち上がろうとする異様なまでの生命力が宿ることがある。

ザナルディは、その最も象徴的な存在だったと思う。

速さを知った者が、ただ速さに滅ぼされるのではなく、そこからなお生の形を作り直していく。 その姿に、多くの人が胸を打たれたのだと思う。

不屈とは、痛みを感じないことではない。
不屈とは、傷つかないことでも、倒れないことでもない。

深く傷つき、現実に打ちのめされ、それでもなお、そこから自分の人生を引き受け直すことだ。

ザナルディは、その意味で、本当に不屈の男であった。

彼はもういない。 だが、その生き方は私たちの心のなかに残る。

結果として残した記録だけではない。 もっと深いところに残る。

人はここまで立ち上がることが出来るのか。
絶望的状況に陥っても、ここまで前へ進み続けることが出来るのか。

その問いとともに、彼の存在はこれからも消えないだろう。

アレックス・ザナルディ。

その名は、ただ速かった男としてでも、ただ勝った男としてでもなく、 失っても失っても前へ進み続けた男として、長く記憶されることだろう。

不屈の男であった。
本当に、不屈の男であった。

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このニュースを知った日(5月2日)。
私はもてぎで疾風改のテスト走行をしていた。

だが、そこでメカニカル面の大きなトラブルに見舞われた。
正直に言えば、復旧させるには資金的にも厳しく、半ば諦めかけていた。
恥ずかしい話だが、気持ちはかなり後ろを向いていた。

そんなとき、ザナルディの訃報を知った。

失ってなお進み続けた男の人生が、頭に浮かんだ。
あの男に比べれば、自分がいま立たされている現実など、まったくもってちっぽけな事柄だと思った。

前を向くということ。
ザナルディは、その意味を最後まで教えてくれている。

2026/05/02

HAMMER RACING HP:https://www.hammer-izawa.com/

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