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2008年1月

JSPC | その他 | 全日本GT選手権

アンダース・オロフソン逝去

olofsson.jpg 日本のレースにも縁の深いアンダース・オロフソン氏(スウェーデン)が1月22日、自宅で睡眠中に逝去された。享年55歳。 1974年スウェーデンのフォーミュラ・フォードによりレース活動をスタートしたオロフソン氏は、スウェーデンやヨーロッパF3やツーリングカーで活躍。1986年インターテックでボルボにより総合優勝。翌1987年から日本でのレース活動を開始。この年ニッサンR87Vにより全日本耐久選手権に参戦。ルマン24時間レースにも出場している。インターテックでは星野一義とのコンビでスカイラインGTS-Rで出場した。
d3_p_02.jpg その後1989年と91年にはグループAのスカイラインで全日本ツーリングカーチャンピオンを獲得。ルマン24時間やスパ24時間などにも出場。1991年のスパ24時間レースではスカイラインにより総合優勝を飾っている。1993年からは一時日本を離れヨーロッパへ拠点を移す。BPRGT耐久シリーズやルマン24時間で活躍した。1997年には全日本GT選手権に出場するかたわら、ルマン24時間レースではマクラーレンF1-GTRで総合2位、GT1クラス1位となっている。1998年も全日本GT選手権に出場したが、第2戦富士でのチームメイトの太田哲也選手の事故により日本でのレースを断念。 ドライバーを引退ししてからは、自国のツーリングカーレースのドライバーのマネージメントをしていた。

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