全日本F3000

avex童夢with無限レーシングチーム リリース Rd.6

          エイベックス童夢with無限レーシングチーム
    1995年 全日本F3000選手権シリーズ第6戦 レースレポート
        「チーム新体制、初レースは惜しくもリタイアに」
 大会名:FUJI INTER F3000&F3
 日時:1995年9月3日(予選2日)
 場所:静岡県・富士スピードウェイ(4.470 km)×45周
 天候:曇天
 気温:23℃
 コースコンディション:ドライ
 観客数:41,000人(決勝日)
 9月3日、静岡県の富士スピードウェイで開催された全日本F3000選手権シリーズ第6戦「FUJI INTER」において、エイベックス童夢with無限レーシングチームの中野信治選手(童夢F104/無限MF308)は、初めて経験するブリヂストンタイヤを装着し、予選10番手から好スタート。次々と自己のラップ・タイムを更新する好走を見せて関係者の注目を集めました。
 しかし、ポジションをひとつ上げて9番手を走行していた26周目、ヘアピン・カーブの進入時にマシンの姿勢を乱してスピンを喫し、残念ながらリタイアとなりました。
<土曜日>
'95年の全日本F3000選手権第6戦は、童夢チームにとってまさにエポック・メイキングの一戦となった。
 別のリリースで触れた通り、童夢チームはこのレースから、 '79年の本格的レース参戦いらい初めて、ブリヂストンタイヤのユーザーとなったのである。
 また、すでに協力体制にあったエンジン・サプライヤーの(株)無限とのパートナーシップも強化され、チーム名称も”エイベックス童夢with無限レーシングチーム”に変更されることが決定した。
 タイヤの変更は急な決定だったため、童夢チームでは事前のタイヤ・テストもできないまま富士戦を向かえた。
 もちろん、積み重ねてきた膨大なデータは全て過去のものとなり、タイヤに関する一切がゼロからのスタートとなる。
 レーシングマシンのタイヤの銘柄を替えるのは、普通乗用車のタイヤを替えるのとはわけが違う。
 例えば、レース中の内圧の変化は各メーカーのタイヤによって異なるので、それぞれのタイヤの特性に合ったマシンの車高やギヤ比の設定値を見つけなければならない。
 いわゆるタイヤのおいしいところ(最もグリップ力の良い周回)もメーカーごとに微妙に異なるので、予選のタイムアタックのタイミングにも注意の必要がある、等々..。
 ぶっつけ本番の予選を前にして、チームの面々の心情は期待と不安が半々、というのが偽りのないところだった。
 だが、いよいよ予選が始まってしばらくすると、松本恵二監督以下、チーム・スタッフの胸にあった不安はあらかた消し飛んでしまった。
 ノーマルのマシン・セッティングから、車高、フロント・ウイングの角度を微調整しただけで、中野のタイムは順調に伸びていく。しかも、何周アタックを繰り返しても、タイヤは非常に安定している。
 まったくの手さぐり状態で始まった予選だったが、中野は暫定ポールの服部尚貴選手からコンマ7秒差の1分17秒357で11番手に。
 また、午後から行われたフリー走行ではさらにタイムを上げ、セッション・トップの金石勝智選手からコンマ5秒差の1分17秒427をマークした。
 決勝レースを想定したフルタンク状態のテスト走行も行われたが、中野は予選で使ったタイヤでコンスタントに1分19秒台前半から18秒台後半の好タイムで周回。
 服部選手や金石選手ら既存のBS勢のフルタンク・タイムと何ら遜色ない中野のタイムに、チーム首脳陣の胸には安堵と期待が広がっていった。
<日曜日>
 ”日曜日は朝から雨”という天気予報を信じたほとんどのチームが、好天に恵まれた土曜日の予選に3セット中2セットのタイヤを投じていた。(残り1セットは、もちろん決勝レース用である)
 ところが、この天気予報が大ハズレ。曇天かつ湿度がかなり高いながらも雨は降らず、しかも気温が土曜日よりも下がったため、日曜朝の最終予選は前日よりもタイムアップを望める好コンディションとなったのである。
 前日のフリー走行である程度の手応えを掴んだ童夢チームでは、目標タイムを1分16秒800台に定め、中野をコースへ送りだした。
 まだBSタイヤの特性を完全に把握するには至らなかったが、中野は使い古した2セットのタイヤを最後の最後まで活かしきり、目標を上回る1分16秒745までタイムアップ。予選一回目よりひとつ前の総合10番手のグリッドに駒を進めた。
 関係者をヤキモキさせる灰色の雲が上空を流れ、一時小雨がコースを濡らしたものの、決勝が始まる前にそれはすっかり乾いていた。
 午後2時50分、いよいよ45周の決勝レースが始まった。
 過去5戦、平均して4台抜きの好ダッシュを見せている中野だが、今回もふたつポジションを上げて8番手で1コーナーをクリア。快調な滑り出しで勢いにのる中野は、前方でテールトゥノーズの6番手争いを展開する高木虎之介、山本勝巳両選手との間隔をぐんぐん詰めながら、2周目を終了コントロールラインを通過した。
 ところが、3周目に入ったばかりの1コーナーで、その高木選手と山本選手が中野のスグ目の前で接触、スピンしたのである。
 たまらず急ブレーキをかけたものの、2台に進路を塞がれ行き場を失った中野は、とっさに外側にステアリングを切ってグラベル・ベッドを走行。辛うじてコースに復帰したが順位は10番手に後退してしまった。
 さらに運が悪かったことに、急ブレーキとダート走行でマシンのバランスが狂ってしまったのだろう。それ以後、中野はマシンの激しい振動とやや甘く感じられるブレーキの効きに悩まされるのである。
 暴れるマシンと格闘しながらも、中野は6周目には9番手に再浮上し、10周目にはM・マルティニ選手と光貞秀俊選手の7番手争いに追いついた。
 三つ巴の争いは延々と続くのだが、中野はなかなか前の2台を抜くことができない。
 ラップタイムは前の2台とさほど変わらないどころか速いくらいなのだが、やはりマシンに不安を抱えるせいだろう、2台を抜くには決め手に欠いてしまうのだ。
 抜きつ抜かれつで向かえたレースも半ばの25周目、依然9番手をキープする中野の前には昨年のチャンピオン、M・アピチェラ選手が走っていた。
 その2周ほど前から、アピチェラ選手は何かトラブルが発生したのだろう、ラップタイムがいっきに2秒近く落ちており、明らかに中野の勢いの方が勝っていた。
 そして26周目。中野はヘアピン前の高速コーナー・100Rの進入でアピチェラ選手に追いついたのである。
 が、これが不味かった。
 何しろ中野のラップタイムはアピチェラ選手のそれを2秒近く上回っていたので、100Rの右カーブを遠心力にのって立ち上がる瞬間、エイベックス童夢号は磁石に引き寄せられるようにアピチェラ選手のマシンにいっきに近づいてしまったのである。
 慌てて中野がブレーキを軽くひと踏みしたとたん、エイベックス童夢号はドライバーの意思を離れ、自分勝手に右へ鼻先を向けた。
 一瞬にしてクルリと方向を変える姿はまるでスケート選手のようだったが、スケートと違っていたのは回った先にタイヤバリアが巡らされていたことだ。
 このようにして、新体制の初レースはあっけなく終わった。
 マシンがドライバーの意思を無視した原因については、やはりレース序盤のやむを得ないダート走行に端を発していると思われるが、その真相はただいま京都のファクトリーにて究明中である。
 ただ、ブリヂストンタイヤでのぶっつけ本番レースだったにも関わらず、中野&エイベックス童夢号のレース中のラップタイムが、優勝したA・G・スコット選手や2位の星野一義選手らのタイムと遜色なかったことは、ブリヂストンはじめ関係者から大いに評価されていた。
 今後、レースやタイヤ・テストのデータを元にタイヤとマシンとの正確なマッチングが図られれば、中野がトップ争いに加わるのはそう難しいことでないだろう。
次戦は9月17日。十勝インターナショナルスピードウェイにて行われます。


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