ANABUKIレーシングチーム 1995年 全日本F3選手権シリーズ第7戦 レースレポート-1 「迷走の行方」 大会名:SUGO INTER FORMULA F3000&F3 日時:1995年7月30日(予選29日) 場所:宮城県 スポーツランドSUGO(3.704 km)×24周 天候:快晴 気温:35℃ コースコンディション:ドライ 観客数:40,800人(決勝日) 7月30日、宮城県のスポーツランドSUGOで開催された全日本F3選手権シリーズ第6戦「SUGO INTER FORMULA」において、ANABUKIレーシングチームの本山 哲選手(ダラーラ395/無限)は、予選9番手からスタート。 2周目までに4台を抜いて5番手に浮上。そのままの順位で24周レースを終えて2ポイントを加え、ポイント・ランキング2位を守りました。 なお、このレースに優勝したペドロ・デ・ラ・ロサ選手の1995年全日本F3選手権チャンピオンが決定しています。 〔公式予選〕 シリーズ第7戦にあたり、全日本F3選手権は大きなヤマ場を向かえていた。 ここまで優勝4回2位1回をあげ、合計42ポイントでランキング・トップに立っているペドロ・デ・ラ・ロサ選手が、もしこのレースに勝てばそのまま95年シーズンのチャンピオンを決定してしまうのである。 それを阻止できる立場にいたのは、優勝1回を含む合計31ポイントでランキング2位にいるANABUKIレーシングチームの本山 哲選手と、15ポイントでランキング3位にいる道上 龍選手だった。しかし、実際に自力でチャンピオン獲得の可能性があるのは本山ひとりだ。 デ・ラ・ロサ選手が2位以下の場合、全10戦中7戦の獲得ポイントが有効となるレギュレーションでは、ロサ選手のポイントは実質減算されることになる。 本山がこのレースを含む残り4戦で優勝を重ねれば、がぜん優位なポイント展開になるはずだった。 F3ではレース本番前の木・金曜日は練習走行日にあてられている。この二日間で各チームとドライバーは、そのサーキットにあったセッティングを煮詰めていく。 ANABUKIレーシングチーム=童夢チームにとってSUGOは、一昨年の全日本F3000選手権で優勝している”得意”なサーキットで、その経験はF3にも充分に活かせる。 ロサ選手の独走状態に食傷していたF3ファンの多くが、童夢&本山の巻き返しに期待を寄せていた。 しかし、巻き返しの歯車は最後までかみ合わなかったのである。 木曜日の練習走行が始まり2周ほど走ってすぐ、ピットに戻ってきた本山は「アンダーステアがキツい」とエンジニアに訴えた。 マシンのセッティングは、京都のファクトリーで合わせた基本状態のままだったのだが、本山は走り辛いんです、と言う。 走り辛いという原因が、マシンの基本セッティングがSUGOのコースに合っていないせいなのか、それとも本山自身が年に一回しか走らないコースを攻めあぐねているせいなのか、チームとしてもこの時点での判断はつきかねた。 このレースはロサの進撃を阻止するための大事な一戦でもあり、それを意識して高揚しているドライバーの気分に水を指すのがためらわれたこともあり、チームは本山の意見を採り入れて、アンダーステア解消の方向へセッティングを進めたのである。 ところが、結果的にこの”温情措置”は裏目となった。 マシンが完全なオーバーステアになってしまったのだ。 レーシングマシンのセッティングは、遊園地などにある「巨大迷路」と似ている。 すんなり出口にたどり着ける時もあれば、迷って立ち往生する時もある。 迷った時は入口に戻るのが一番なのだが、迷い歩いているうちに、自分がどこにいるのか、入口がどちらだったのかさえわからなくなることある。 今回の本山は、まさに入口がわからない”迷走状態”にハマっていた。 マシンの動きがアンダーステアなら、ドライバーのハンドリングやアクセル操作でまだしもカバーできるのだが、オーバーステアでは走っているドライバーも手のうちようがない。 オーバーステア解消へ試行錯誤を繰り返した後、埒が明かないと判断したチームは、マシンを基本セッティングに戻すことに決定した。 しかし、ハードウェアが「入口」に戻ることができても、肝心のソフトウェア、ドライバーの頭の中がいちどあらぬ方向に迷い込んでしまったら、ハードウェアほど簡単に「入口」に戻り着くことはできない。 金曜日になっても、本山は頭の中の理想のセッティングと現実のセッティングのはざまでウロウロしていた。 それでも、使いこなしたタイヤで1分23秒前半のタイムをマークしていた金曜日は、まだ迷路を脱出する可能性が残っていた。 ところが土曜日、新しいタイヤに履き代えたとたん、本山はより大きな混乱に陥ったのである。 その2へつづく