全日本F3000

CABIN:F3000鈴鹿プレスリリース

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1991年全日本F3000選手権            1991年11月20日
RACE INFORMATION                   キャビン・レーシングチーム事務局
  第11戦「ミリオンカードカップレース ファイナルラウンド鈴鹿」
             王座への試練
          シリーズはもつれて最終戦へ
       金石、F3で連勝。シリーズ2位に食い込む
        星野一義 予選A組1位 決勝リタイヤ
        片山右京 予選B組2位 決勝10位
 コントロール・ラインを通過するマシンに次々チェッカー旗が振り降ろされ
ていく。しかしその中に星野一義の姿は見えなかった。そして王座奪取を目前
にしている片山右京はなんと10番目にチェッカーを受ける。鈴鹿サーキット
での最終戦は、キャビン・レーシングチームにとって思いもかけない結果とな
ってしまったのである。
 1991年全日本F3000選手権・第11戦「ミリオンカードカップレー
ス ファイナルラウンド鈴鹿」が、11月16日(土)、17日(日)三重県・鈴鹿
サーキットで開催された。キャビン・レーシングチームは、このレースに星野
一義、片山右京の陣容で参戦した。
<体制>
 キャビン・レーシングチームwithインパル
  ドライバー:星野一義
  監督   :金子 豊
  マシン  :ローラT91-50/無限(Tカー ローラT90-50/無限)
 キャビン・レーシングチームwithヒーローズ
  ドライバー:片山右京
  監督   :田中 弘
  マシン  :ローラT91-50/DFV(Tカー ローラT90-50/DFV)
<マシン>
 星野はローラT91-50/無限、片山はローラT91-50/DFVを用
いる。星野は第10戦でマシンを大破したため、大作業でマシンを間に合わせ
た。今回のマシンにはフロント・ウイングの翼端板にボーテックス・ジェネレ
ータが新たに装備されている。一方の片山は、三段式のリヤウイングを製作し
て採用した。これは空気抵抗を抑制したままダウンフォースを確保するための
工夫である。
<公式予選>
 第10戦が激しい降雨のためキャンセルになったこととは対照的に、鈴鹿サ
ーキットは秋晴れに包まれた。予選A組から出走の星野は、セッション開始後
15分、1セット目の予選タイヤを装着してタイムアタック。1分45秒558を記
録してA組の首位に立った。
 その後星野はピットで待機していたが、マルティニ選手が1分44秒609を記録
して星野のタイムを上回ったのを見て一旦は出撃準備を整えたものの、星野は
予選打ち切りを決断、コクピットを降りた。その後チーバー選手が1分44秒595
を記録したため、星野は結局第1回目の公式予選セッションを3位で終えた。
 B組の片山はセッションのためにコースがオープンされてもピットで待機。
セッション開始後20分でようやくコースインしてタイムアタックにかかった。
しかし遅いマシンに進路を塞がれて1分46秒141と平凡なタイムに終わり、彼
もここで走行を打ち切った。
 午後、2セット目のタイヤでタイムアタックに入った星野は1分44秒500の
ベストタイムをたたきだした。これは鈴鹿サーキットにおけるF3000クラスの
コースレコードである。この記録によって星野は再びA組の首位に立った。こ
れに追従できるのはタイヤを温存していたチーバー選手のみ。チーバー選手は
セッション終了直前に逆転を期してタイムアタックを行なったが、0秒001星
野に及ばず、星野はA組首位の座を守り通しポールポジションを獲得した。星
野が鈴鹿のF3000レースでポールポジションを獲得したのは、昨年第1戦以来
になる。
 B組の片山はセッション終了15分前までピットで待機、2セット目の予選用
タイヤを装着してタイムアタックにかかった。記録は1分45秒252。自身の午
前中のタイムを更新するB組午後のセッションでのベストタイムである。しか
し、中谷選手が午前中に1分45秒107を記録していたため、惜しくもフロント
ローに並ぶことはできなかった。
星野一義:1分44秒500 A組1位(ポールポジション)
「午前中は、コースの路面が荒れていたのでタイムが出せなかった。だから勝
負を午後にかけることにした。だから午後のタイムアタック前にはプレッシャ
ーを感じた。アタックに入ったら遅いマシンに追いついてしまったんだが、う
まく進路を開けてくれた。最後のシケインではミスしないように手堅く通り抜
けた。そういう意味では会心のアタックではなかったけれど、ポールが取れた
ので本当に嬉しい。このところ欲求不満の残るレースを続けてきたから、今回
はすっきりさせるつもりだ。マシンもドライバーも絶好調。決勝では久々の星
野パターンのレースを見せることができると思う。選手権ポイントは、人が言
うほど気にはしていないんだよ。レースはとにかく優勝しなければ意味はない
んだ」
片山右京:1分45秒256 B組2位
「午前中は遅いクルマに引っかかりまくってしまいました。ストレートで遅い
クルマを抜いたとき蛇行したせいか、リヤタイヤが発熱してプッシュアンダー
が出てしまった。金曜日の練習では確かにタイムは出ていなかった。でも、そ
れは燃料系統にトラブルがあったからで、それはチームが完全に直してくれて
いますから、マシンにはまったく問題はない。ただ、リズムに乗れなかったと
ころはあるかもしれない。これは完全にぼくの責任ですね。1回目のセッショ
ンで5位だったときにはどうしようと思って冷汗が出ました。午後はなんとか
2位に持ち直したのでほっとしていますけれどね」
<決勝レース>
 決勝のスタートでは星野が好ダッシュを見せ、先頭に立って第1コーナーへ
突進した。片山は一瞬出遅れて後方からマルティニ選手に並びかかられる。片
山はマシンを外側に振ってマルティニ選手を牽制するが押さえきれず、5番手
で第1コーナーへ進入した。
 首位を確保したかに思われた星野に、後方のチーバー選手がコース外側から
襲いかかり、第2コーナー手前で首位に立った。隙を突かれた形の星野はチー
バー選手の背後にピタリとつけて逆襲のチャンスを狙うこととなった。片山は
1周を終える前にバイドラー選手につかまり、首位のチーバー選手から4秒513
遅れの6位でオープニングラップを終えた。
 星野はチーバー選手に食い下がり、片山はバイドラー選手を追走して序盤戦
は進んだ。3周目に3位につけていた中谷選手がマシントラブルでリタイヤし
たため、片山の順位は5位となっていた。
 星野は幾度となくチーバー選手に詰め寄り、勝負をかける隙を伺うが果たせ
ず。レースは緊迫のまま膠着状態となっていた。ところが16周目、首位から
4秒強遅れて5位を走っていた片山がダンロップコーナーでスピン、退避路に
止まってしまった。その後片山はコースに復帰するが20秒近いロスタイムの
ため、11位へと順位を落としてしまった。
 次の周、星野にも不運が訪れる。17周目のヘアピンで、インを開けたチー
バー選手の内側に進路を取った星野は突然スピン、そのままコース外側へ飛び
出してしまったのだ。ここでエンジンが停止し、星野はレースをあきらめるこ
ととなった。この時点で、星野は残念ながら今シーズンの王座争いから脱落す
ることが決ってしまった。
 その後レースは大きな変動のないまま推移した。チーバー選手が首位を守っ
ている限り、片山はこのレースで4位以内に入賞しなければ王座を決めること
はできない。しかし片山は10位。しかも29周目には再びスピン、順位をさ
らに落としてしまった。結局片山は最終ラップに順位をひとつ回復したものの
10位でフィニッシュ、無得点でこのレースを終えてしまった。
 チャンピオン争いは片山右京とロス・チーバー選手の二人によって、11月
30日に富士スピードウェイで行なわれる最終戦で決着を迎えることとなった。
このレースの予選はすでに9月7日に終了しており、星野一義と片山右京がフ
ロントローから決勝に臨むことが決定している。
星野 一義:16周 リタイヤ
「スタートの1コーナーが勝負だったな。あのまま2位につけていればよかっ
たかもしれないけれども、それはぼくのレースではない。とにかく優勝しなけ
れば星野ではないんだ。選手権ポイントのことが頭に浮かばなかったわけでは
ない。2位で終わってもチャンピオンの可能性は残るし、富士での最後のレー
スはポールからのスタートだからね。それはわかっていたんだ。チーバー選手
はヘアピンで外側に出る。そのインに突っ込もうとして突っ込みすぎてしまっ
た。それでスピンした。絶好調だっただけに本当に残念だ。でも、仕方がない
よ。チャンピオンは逃したけれど、次のレースではきっと優勝する。星野のレ
ースはこれなんだってことを見せますよ」
金子 豊監督
「朝のフリー走行でも絶好調だった。あまり調子がいいので、ライバルを意識
してむしろペースを上げなかったくらいですよ。トップに立てば、1分48秒
前後のペースで走り続けられるはずだった。今回の優勝者のペースは1分50
秒でしょう。ぶっちぎれるはずだったんだ。でも鈴鹿はコースの性格上、前に
出られると抜けないんですよ。レイナードは1速でシケインを通過するんだけ
れど、ローラはシフトレバーのレイアウト上、1速を使うことができない。だ
からシケインで前を押え込まれて、ストレートで引き離されてしまう。これで
は前に出られなかった。スタートでチーバー選手は外側から来るんじゃないか
と予想はしていたんだが、すっかりやられてしまったな」
片山 右京:1時間06分21秒330 (57秒545遅れ)10位
「テストで走り込む過程で、チーバー選手に対抗するためにフロントにダウン
フォースをかける方向のセッティングに振ったんですが、これが大外しでした。
とにかくフロントをグリップさせて、プッシュアンダーが出ないようにしてお
いて、アクセルを踏んでいこうと思ったんです。監督には反対されたけれどワ
ガママを通してもらった。でも、それが完全に裏目に出てしまいましたね。
 決勝では130Rでオイルに乗って飛び出しそうになったとき、バイドラー
選手に抜かれてしまった。でも彼はストレートで遅かったから、前に出ようと
したら、ダンロップコーナーで2回転もスピンをしてしまった。これでタイヤ
にフラットスポットを作ってしまい、その後はペースが上げられなかった。今
回はセッティングから決勝まで完全にぼくの失敗。恥ずかしいです」
田中 弘監督
「うちとしては、今回のレースで決めるつもりだった。だから、このレースの
前に6日間のテストを行い、2000Km以上走り込んだ。予選用タイヤで1
分44秒前半が出ていたし、決勝用のセッティングも万全だった。ただ、金曜
日の練習走行で燃料タンクのトラブルが出てタイムが伸びなかった事が、ドラ
イバーのマインドコントロールに影響を与えたかもしれない。そのトラブルは
予選の前に完治したが、予選、決勝と右京は引きずっていたね。精神的にナー
バスになっていたな。確かに路面はスリッピーな状態だったろう。でも、それ
は全員同じことだ。プロならば、ここ一番の時に結果を出さなければ駄目です。
経験量の差が出たと言えるな。今回は、ドライバーの心が引き起こしたドライ
ビング・ミスがすべてです」
なお、併催された全日本F3選手権の最終戦にキャビン・レーシングチーム
から出走した金石勝智は予選で初のポールポジションを獲得。決勝でもスター
トでトップに立つと他を全く寄せ付けず、前戦鈴鹿に続いて2連勝を果たした。
これで金石は選手権ポイントで9点を追加し、1991年全日本F3選手権シ
リーズ2位を獲得した。
金石 勝智:35分07秒156 優勝
      (ファステストラップ 2分03秒236)
「エンジン、シャシーとも決っていたので前回の鈴鹿より楽でしたね。スター
トはフロントロウのリード選手の方が良かったんですけど、1コーナーではこ
ちらがアウト側だったので何とか前に出られました。この2連勝を来年へつな
げたいですね」
**CABIN Racing Team Office/寺倉茂雄**


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