<<<< CABIN Racing Team Press Release ================================= 1991年全日本F3000選手権 1991年10月30日 RACE INFORMATION キャビン・レーシングチーム事務局 第10戦「日本信販スーパーカップRd.5富士ファイナル」 雨に消えたレース 星野、アクシデントに巻き込まれるも、無事 星野一義 予選A組2位 片山右京 予選A組4位 シリーズ終盤の山場と思われた第10戦の決勝レースは、強雨による路面等の 状況悪化を理由に中止となった。これにより土曜日に行なわれた公式予選結果 も無効となる。 決勝レース中止の決断は、レース直前に行なわれたウォームアップ走行中に 起きた星野一義と西垣内正義選手の接触事故が、直接の引き金となって下され た。コースアウトした星野のマシンは大破したものの、星野自身が無事だった のは不幸中の幸いであった。しかし、得意の富士で必勝を期していた星野には さんざんな週末となってしまった。 1991年全日本F3000選手権・第10戦の公式予選が、10月26日(土) 静岡県・富士スピードウェイで開催された。キャビン・レーシングチームは、 このレースに星野一義、片山右京の陣容で参戦した。 <体制> キャビン・レーシングチームwithインパル ドライバー:星野一義 監督 :金子豊 マシン :ローラT91-50/無限(Tカー ローラT90-50/無限) キャビン・レーシングチームwithヒーローズ ドライバー:片山右京 監督 :田中弘 マシン :ローラT90-50/DFV(Tカー ローラT91-50/DFV) <マシン> 今回星野は、ローラT91-50/無限を実戦に投入した。このマシンは今 シーズン開幕戦を戦って以降、Tカーとして使われてきたもの。 前回T91を用いた片山は、このレースでは再びT90を選択した。富士で のテスト走行の感触がT90の方が優れていたためである。 <公式予選> 秋の深まる富士スピードウェイは、前日までの雨が止み、ドライコンディシ ョン。気温も18度前後とレーシングカーの走行には最適の条件となった。星野 と片山はともに予選A組からの出走。午前中第1回目のセッションではまず星 野がタイムアタックにかかった。記録は1分16秒974。それを追いかけて片山 がコースイン。彼は進路を塞がれて1分17秒516に留まる。 2セット目のタイヤを用いてのタイムアタックは片山が先手を打った。しか し彼の記録はまたもや進路を塞がれて1分17秒204と伸び悩む。この記録を見て 星野は2セット目のタイヤを装着してコースイン。1分16秒793へと自分の記録 を書き換えてA組の首位を守った。 しかし、セッション終了直前に中谷選手が星野の記録を上回るタイムをたた きだしたため、星野は2位、片山は3位へと後退する。 午後のセッションでは気温が低下、コンディションはさらに良くなった。だ が星野、片山ともにフレッシュタイヤを持たなかったためタイムの更新はでき なかった。この間、クロスノフ選手が午前中の片山を上回るタイムを記録した ため、片山の順位は繰り下がる。結局、星野は外側2列目、片山は外側4列目 からのスタートが決まることとなった。 星野一義:1分16秒793 A組2位 「もう、ポイント計算がどうとか言っている状況ではない。だから残りのレー スはすべて勝つつもりで頑張る。今日はマシンの調子は完璧で、もっとタイム が縮められるはずだった。けれど、ヘアピンで遅いマシンにひっかかってしま ったんだ。ポールを取れなかったのは残念だ」 金子豊監督: 「心配していたローラT91の調子が実にいいんです。なにしろ一度使ったタ イヤを履いてタイムアタックをやり直しても、そこそこのタイムが出るんだか ら。ひっかかりさえしなければ16秒台の半ばくらいまではいけたと思う。なん だか怖いくらいに調子がいいよ。」 片山右京:1分17秒204 A組4位 「今日は、タイムアタックをするたびに前のクルマにひっかかった。こんなこ とは初めてですよ。ここしばらく2列目以降に下がったことはなかったんだけ れどなあ。もう、ここまで来たら、あれこれ考えずに開き直って明るく戦うし かありませんね。T90は、富士でテストしたときにT91よりもいくらかいいか な、と感じたから使っただけ。それほど大きな差ではありません。T91には鈴 鹿のレースに備えてスペシャル・セッティングを施しておきますよ」 田中弘監督: 「ツキがなかった、の一言だね。マシンの調子は非常にいいんです。テストで T90を走らせたデータでも、今回のコンディションなら16秒台に入る事は実 証されてますから。ただ、こうなってしまったからには、決勝では慌てずにじ っくり走ることだ」 <決勝レース> 日曜日は早朝から激しく降雨。その中でフリー走行が行なわれたが、霧が出 て視界が悪化したため途中で中断される。 その後天候は回復せず、F3000決勝レースのスタート時刻は繰り下げられて コンディション好転が待たれた。しかし、雨は降り続いた。延期されたスター ト時刻が近づき、コンディションを確かめるために10分間のフリー走行が始 まった。 ところが、まもなくメインストレート上でアクシデントが発生した。水しぶ きの中、星野と西垣内選手のマシンが接触し、2台は激しくクラッシュしてし まった。 この事故のためフリー走行は赤旗中断され、その後エントラントと主催者側 の話し合いがもたれて決勝レースは中止することが決定した。スケジュールの 関係上代替イベントは行なわれず、第10戦は予選も含めてキャンセルという扱 いになる。 星野一義: 「事故の直後は、身体のあちこちが痛んだけれども、月曜日には傷みもひいて きた。一応、大事をとって精密検査を受けてもらうつもりだよ。チームには、 次のレースに向けてマシンを準備してくれるよう頼んだ。残りの2戦、頑張る よ」 金子豊監督: 「ストレートの水に乗って、アクセルを抜いたところに後ろから突っ込まれた 形ですね。星野の身体が無事だったのは幸運でした。マシンは右リヤと左フロ ントを激しく壊してしまったけれど、なんとか修復できる見込みです。11月初 めのテストに向けて、作業を進めています」 片山右京: 「フリー走行にコースインしたとき、確かに雨は一時的に小降りにはなってい た。でも、ガスも出てきていたし、決勝レースができるコンディションではな かった。前がなにも見えないんですから。ぼくも前のマシンのウィングだけを 見て走っていた。赤旗だって、全然見えなかったくらいなんですよ。1台だけ で走るなら、走れないことはなかった。でも、28台で決勝レースを戦うこと は絶対に不可能。雨の中来てくれたお客さんには、申し訳ないけれどももっと 早くに中止の決断がなされるべきだったと思います。これじゃ、星野さんがか わいそうですよね。シリーズの有利不利はまだわかりません。残り2戦、僕が リタイヤしちゃったら、どうにもならないんだから」 田中弘監督: 「とても決勝レースはできないコンディションだった。マシンは、朝走ったと きのデータを考えてセッティングを煮つめてあったけれど、もしこのままレー スを決行するならば状況によってはレースを辞退するつもりだった。フリー走 行だけは、とにかく走るだけ走ってみよう、とコースに出たけれどね。今度の 鈴鹿では、誰も追いつけない速さをお見せしますよ」 今回のレースの中止決定により、’91年全日本F3000選手権は全10戦で 行われることになった(残りレースは第11戦・鈴鹿と11月30に延期開催され る第8戦・富士)。これに伴い、有効ポイントは上位7レースの合計となる。 そしてシリーズチャンピオン争いはポイントリーダーの片山と、星野、小河 選手、チーバー選手、中谷選手の5人に絞られた。片山は次の鈴鹿で優勝すれ ば、他の選手の成績に関係なく、その時点でチャンピオンを決定する。 **CABIN Racing Team Office/寺倉茂雄**