1991年7月29日 -1991年全日本F3000選手権シリーズ第6戦- Noppon Shinpan SUPER CUP Rd.2 SUGO INTER FORMULA 念願のポール・トゥ・ウイン達成 --------------------------------------- F3000デビューの年に予選4位、翌88年にはポールポジションを獲得。89年も 予選2位でフロントローに着けるなど、この菅生のコースでは常に速さをアピールして きた25番のロス・チーバー。後半戦への弾みをつける意味でも、ここ菅生での一戦が 重要な意味を持つことになった。 [7月27日:予選]約2ヶ月のインターバルをおいてのF3000第6戦。菅生で の予選日、空は薄い雲に覆われていたが、気温はジリジリと上昇していた。今回、ロス ・チーバーは、予選A組での出走となった。このレースへ向けて満を持して臨んだ彼の マシンは、チームによってソフトコンパウンドを使った予選用タイヤの為のスペシャル セッティングが施されている。そしてチーバーは1分9秒849のタイムを出す。これ は従来のコースレコード1分9秒904を上回っていた。午後からは、さらに気温が上 昇するのが予想され、第1セッションで2セット目の予選タイヤを使用することに決め 、再度タイムアタックに出た。チームの期待に応えるべく1分9秒658を出したので あった。午後に行われた第2セッションでは、予想通り気温が上がり、タイムアップす るにはコンディションが悪く、チーバーのこのタイムがポールポジションを決めた。 [7月28日:決勝]決勝日は朝から好天に恵まれた。前日の第2セッションではダ ンパーのセッティングを変更して、良いフィーリングを得たのでそのまま決勝日の朝に 行われるウォーミングアップ走行に出た。1分13秒537がベストラップタイムの1 2番手に留まったが、しかしこの間、チームではチーバーからのコメントを元に、セッ ティングの最後の煮詰めを精力的に行っていたのであった。午後2時前、真夏の太陽が 照り付ける炎天下で54周の決勝レースがスタート。コースを1周する間に2番手の服 部選手に続いてダニエルソン選手、さらにシューマッハ選手らの追撃をチーバーは受け たが、服部選手はインフィールドでは速いが最終コーナー立ち上がりが遅いため、唯一 のパスポイントである第1コーナーでチーバーをパスすることはないとチームでは余裕 でレースを静観。そして、最後までトップの座を譲ることなく、今期初優勝をポール・ トィ・ウインの完全勝利で飾ったのであった。 ドライバー&チーム監督コメント ●ドライバー/ロス・チーバー(Ross Cheever) 今回もチームのみんなが良い仕事をしてくれた。美祢では勝てるレースを自分のミス で失っているので、レースは長いと自分で言い聞かせるとともに、コースコンディショ ンの変化に合わせたドライビングを心掛けるようにした。また、気温が高かったので、 タイヤに負担をかけないよう、70%の力でスムーズなドライビングを心掛けた。そう いう走りができるだけの余裕が、今回はマシンにもあった。優勝ができて本当にハッピ ーだ。生涯で忘れることのできない、素晴らしい一日になった。 ●チーム監督/本間 勝久(Katsuhisa Honma) 今日はドライバーが本当に頑張ってくれました。また、以前から話していた通り、レ ースを消化してくるにしたがってデータが揃い始め、マシンのセッティングが煮詰まり 出していったので、いつかは結果に結びつくときがくるとは思っていました。まず、ロ スは予選用のタイヤを使って1周に全力を傾けることが上手だと、改めて思いましたね 。そして決勝レースでは、ちょっとキャンブル的にセッティングをトライした部分もあ ったんですが、それも上手くいきました。この優勝をきかっけに、後半戦で好結果が続 くよう頑張りたいと思います。 レースデーター ●開催日/7月27日(予選)~28日(決勝) ●開催地/スポーツランド菅生(宮城県):1周3.704256㎞ ●主催者/ビクトリーサークルクラブ、奥州ビクトリーサークルクラブ、 SUGOスポーツクラブ、東日本放送 ●観客数/予選日:8500人/決勝日:49100人 ●天 候/予選日:曇り後晴れ/決勝日:晴れ時々曇り、気温29.5℃ --------------------------------------- 提 供 プロミス&レイナードレーシング事務局 ---------------------------------------