1991年5月27日 -1991年全日本F3000選手権シリーズ第5戦- ベ ス ト ラ ッ プ を マ ー ク す る も バ ッ テ リ ー ト ラ ブ ル で 1 1 位 --------------------------------------- 開幕戦以来、3回のリタイアを含め、良い結果を出せずにいる25番ロス・チーバー。全 11戦で争われるシリーズも中盤戦を迎えた。ここまで不運もあったが、すでに手に入れ ている速さをいかにして結果に結び付けるかが問われることになった。今までの無念を 、この第5戦で晴らしたいところ。 [5月25日:予選]朝のうち雨に見舞われた鈴鹿地方も、F3000の予選が開始となる 頃には雨が上がり、2回目の予選が行われた午後には、路面コンディションはドライと なり、スリックタイヤが使える状況となった。今回、予選A組での走行となったロス・ チーバーは、1回目の予選を15番手のタイム(1分57秒074)で終える。しかしこれは 、午後の天候回復を見越して、予選専用のスリックタイヤを使わなかったため。その予 想通り、午後の路面状態はドライとなった。2セットの予選用タイヤを使ってタイムア タックに出たチーバー。ところが午後は路面状態が悪く、オーバーステアに苦しめられ た。高速コーナーでカウンターステアを当てながら走らなければならなかったチーバー は、1分48秒347のタイムに止まり、10番手のスターティンググリッドが決まった。 [5月26日:決勝]恒例のモーニングプラクティスでは、21番手1分52秒339のラッ プタイムに止まったロス・チーバー。「ハンドリングが今ひとつ決まらない」とひと言 。朝から照りつける太陽は、気温を26℃まで上昇させ、路面温度も40℃に達した。決勝 レースがスタートして11番手のポジションに着けたチーバーは、エンジンがバラつき、 辛抱のレースを強いられていた。後ろからは、関谷選手、ダニエルソン選手が迫ってく る。しかも、やがてペースが落ちてきてしまった。そして13周目に入るところで緊急の ピットイン。一度はマシンを降り掛けたチーバーだったが、バッテリートラブルの修復 が終わると、再びコースへ復帰し、レース中のベストラップタイム、1分51秒002をマ ーク。11位で完走を果たした。これでシーズンも半分を消化することになった。残り6 レースをしぶとく戦うことによって、後半戦で好結果に結び付けたいところだ。 ド ラ イ バ ー & チ ー ム 監 督 コ メ ン ト ●ドライバー/ロス・チーバー(RossCheever) 金曜日の練習中にエンジントラブルが出てしまい、しかもその午後には雨が降り始めて セッティングを詰めることができないままに予選を走らなければならなかった。しかも このマシンでこれほど暑い鈴鹿を走るのは初めてのこと。満足なレースを戦えなくて残 念だ。ただ、この気候に合わせたセッティングが今回はうまくいかなかっただけで、マ シンの状態は基本的に悪くはない。ファステストラップが取れたのが、せめてもの救い だろう。皆に喜んで貰える結果を早く残したい。 ●チーム監督/本間 勝久(Katsuhisa Honma) 今回のレースでは、事前テストでの良さをひとつも出すことができませんでした。この 気温の高さも影響しました。バッテリートラブルは、前回のレース前のテストから使い 始めたコンピュータシステムが電気を食い過ぎたようなんです。次の菅生までにはその 辺りも十分にテストして臨みたいと思います。レースは絶対に諦めたらいけませんから 、粘り強くこれからも頑張りますので、応援してください。 レースデータ ●開催日/5月25日(予選)~26日(決勝) ●開催地/鈴鹿サーキット(三重県):1周5.85943km ●主催者/?鈴鹿サーキットランド、鈴鹿モータースポーツクラブ ●観客数/予選日:16000人/決勝日:63000人 ●天 候/予選日:雨のち曇り/決勝日:晴れ、気温26.4℃ -------------------------------------- 提 供 プロミス&レイナードレーシング事務局 --------------------------------------