1991年5月13日 1991年全日本F3000選手権シリーズ第4戦 西日本オールスターレース 雨の中、トップを快走するが痛恨のスピン --------------------------------------- シリーズ第4戦は、シーズンオフの間にコースレイアウトが一新された美祢サーキット (旧西日本サーキット)でのレース。25番ロス・チーバーはこのコースのファーストイ ンプレッションを「多くのドライバーが嫌いだって言ってるみたいだけど、僕は嫌いで はない。チャレンジングなコースだし。ただ、もっとバラエティに富んだコースだとい いね」と話した。 [5月11日:予選]前日までの好天とはうって変わり、朝から曇り空。山口地方を覆 っていた高気圧が東に移動し、天気は下り坂。午前中のセッションで確実にタイムを出 しておく必要がある。ロス・チーバーは予選B組で出走し、たった1回のフライングラ ップで1分13秒232のベストタイムをマークした。「セッティングは完璧ではないが、 コンディションはまあまあ。ここはローラ向きのコースだけど、そこでトップタイムを マークできたんだから悪くない」と、明るい表情。雨が心配された午後のセッションも 天気は崩れず、ドライコンディションでの走行となった。気温がやや下がり、タイムア ップを狙えるコンディションとなったが、チーバーが走るB組の走行時間は路面コンデ ィションが悪化し「タイヤが全然グリップしないんだ!」と、このセッションのベスト は1分13秒685に止まる。予選B組のトップは守ったが、ポールポジションは予選A組 の中谷明彦選手(1分13秒032)に決まった。 [5月12日:決勝]天候は予報通り朝から雨。新コースとなって初めてのウェットコ ンディションだ。朝のウォーミングアップ走行を終えロス・チーバーは、「調子は悪く はない。コースはちょっと危険だけど、問題はない」。そして、決勝レースへ向けてコ ンセントレイションを高めていった。決勝レーススタートを迎え、一時的に上がってい た雨が再び降り始め、今後のコースコンディションの読みを難しくする。チームは、次 第に天候が回復に向かうと判断し、浅い溝のレインタイアでレースに臨むことを決めた 。抜群のスタートを見せたチーバーは、トップに立つ。しかし、後方から追い上げてき たエディ・アーヴァイン選手のタイアは溝が深く、序盤にチーバーをかわしてトップに 立った。やがて路面コンディションが良くなってくると、チーバーの追い上げが始まる 。そして勢い余ったアーヴァイン選手がスピンする間に、かわして再びトップに立った のだ。ところが、まだ滑りやすい路面に足をすくわれ、26周目にチーバーもスピン。 コースアウトしてリタイアとなった。 ド ラ イ バ ー & チ ー ム 監 督 コ メ ン ト ●ドライバー/ロス・チーバー(RossCheever) ゴメンナサイ。僕のミスです。勝てるレースを失って残念。後は、何を言って言い 訳になってしまう。マシンの状態はどんどん良くなっているので、次のレースを見て いてください。 ●チーム監督/本間 勝久(Katsuhisa Honma) タイアの選択は間違っていなかったと思います。ロスは調子を上げていただけ に、 残念な結果です。とくにレース後半での攻防は、我々の選んだタイアであ ればもっと 速いペースで走れたはずなので、惜しいですね。タラ、レバ、とい った話をしても仕 方がないので、次の鈴鹿こそ結果を残したいと思っています。 幸い次の鈴鹿でのテス トでは良いデータが得られているので、期待してもらえ ると思います。マシンは順調 に仕上がってきているので、なんとか結果が欲し いですね。 レ ー ス デ ー タ ●開催日/5月11日(予選)~12日(決勝) ●開催地/美祢サーキット(山口県):1周3.238978km ●主催者/MINEサーキット、ビクトリーサークルクラブ、 あつモータースポーツクラブ ●観客数/予選日:14500人/決勝日:55400人 ●天 候/予選日:曇り/決勝日:雨、気温16℃ -------------------------------------- 提 供 プロミス&レイナードレーシング事務局 --------------------------------------