全日本F3000

F3000:萩原レーシング リリース

  HAGIWARA RACING PRESS INFORMATION
全日本F3000選手権 第1戦鈴鹿
関谷正徳、痛恨のピット・スタートながら、15人抜き!
 1992年 3月 8日 鈴鹿サーキット
     観客:53,000人 天気:晴
コース:ドライ 気温:12°C 路面:23°C
 1992年の全日本F3000シリーズが、今年も鈴鹿で開幕した。
 萩原レーシングでは、同シリーズには開幕戦からレイナード92Dと、国内初登
場のジャッドKVエンジンの組み合わせで臨んでいる。
 本来ならば、今年のF3000シリーズには新車両レギュレーションに合致した
92年モデルのシャーシしか出場できないこととなっているが、実際には92年モ
デルは各チームに行き届いておらず、競技委員会は今回に限り92年以前のモデル
での出走を認めている。
 萩原レーシングは、このレースへ出走した全26台中、92年モデルを持ち込ん
だ数少ないチームとなっている。しかしながら、マシンが完成したのはレースの前
週の2月25日で、わずかにシェイク・ダウン・テストを1回行ったのみという状
況であった。
 1年間みっちりと走り込んで、データの豊富な91モデル勢に比べると、かなり
不利に状況にあるにもかかわらず、関谷正徳は金曜日のフリー走行において暫定的
なセッティングを決め、土曜日の予選では13番グリッドを確保することに成功す
る。
 ところが、レースでは、コース・イン10分前になって、スターター・モーター
が突如として破損し、エンジンがかからなくなってしまうトラブルが発生してしま
う。そのため、メカニックが13人掛かりで修復を急ぐことになるが、修理が完了
した時には非情にもピット・ロードはクローズとなってしまい、関谷はピット・ス
タートを余儀なくされてしまう。
 全車両がスタートした後でのコース・インというハンデキャップを負った関谷は、
コースに入るやいなや鬼神の走りを見せ、なんとスタート直後の25位からレース
終盤までには8位にまで浮上するというパフォーマンスを見せた。
 そして、なおも追い上げを続ける関谷ではあったが、全走車のジェフ・クロスノ
フをパスした直後にリヤ右タイヤを傷つけられ、痛恨のスロー・パンクチャーを喫
してしまう。関谷は、そのままコース上にストップせざるを得なくなってしまった。
 最終的な結果としては、関谷はレース中のラップ・タイムでは5番手をマークし
ていることもあり、もしもトラブルがなかったら...と、ピット・スタートが悔
やまれるが、これもまたレースである。
関谷 正徳
「マシンのフィーリングはかなりいいよ。今年は行けると思う。まだろくに走って
いないのに、ここまで行けたからね。この後、テストでセッティングを煮詰めて、
新車を早めに投入したアドバンテージを持ちたいよ。」


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